2016年02月29日

椎木酒店

太宰府天満宮社務所裏にある「椎木酒店」。

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ここは鬼ずべの夜、本殿近くまで大松明を運び入れた燻手(すべて)たちが
鬼すべ堂での激しい攻防に備えて休憩するとき
立ち寄って一杯飲む酒屋でもあります。
初めて入ってみました。
リキュールを探すも日本酒と焼酎がほとんど。
少しだけあった中で買ったのがこれ。「ゼリー梅酒」?

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初めて見ました。ゼリー梅酒って。
振ってぷるぷる、と書いてあります。
2月11日から14日まで天満宮で開催された梅酒まつりにも出品されていて、
売りきれたものだそうです。
醸造元は久留米の池亀酒造。
ゼリー梅酒というのは日本初だそう。
発売は2007年から。
大分県と福岡県産の完熟大梅と米焼酎で仕込んだ梅酒。
1回の製造で500本しかつくることができないらしいです。
ゼリーの素の増粘多糖類は天然物由来。
おなかの中で食物繊維としても働くので、
からだにもよさそう。
リキュールが大好きで、これはスイーツみたいなお酒。
気に入って、振り振りして毎日ちょびちょび飲んでます。
 ※参考/池亀酒造HP
posted by 理乃(ニックネーム) at 22:12| 福岡 ☁| Comment(0) | ★参道のお店 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月28日

シンポジウム「大城(大野城)の謎に迫る!」2016.02.27memo

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昨日九博で行われた宇美町&九博Presentsのmemoです。
四王寺山の麓で生まれ、今も暮らしていて、毎日見ている山。
この謎深い山についてのシンポです。
赤司善彦氏の基調講演ののち5人の専門家による発表、最後にパネルディスカッションがありました。
宇美町Presentsということもあり、一番パッションを感じたのは宇美町教育委員会学芸員の松尾尚哉氏の発表でした。
そもそも四王寺山の80%、つまりほとんどは宇美町の領域なのです。
その発表の中で最も興味深かったのが前田地区。
場所は県民の森近くの集落です。
ここからは「舘」銘墨書土器そして、なんと文様塼が出土しているということです。
この驚くべき貴重な資料は昭和52年から53年にかけて、
前田地区の斜面部から採集されました。
前田地区の北側には主城原地区には官衙風の3間☓7間の掘立柱建物が確認されていて、そこから続く前田地区にかけて、
役所の機能を持つ建物があったことが想像されるとのこと。
名前から城の主の原です。
さらに「太宰府旧蹟全図北図」には前田地区に「二ノ丸石スエ」と記されているのです。
ちなみに本丸は増長天地区、三ノ丸は主城原地区に記されています。
次に興味深かったのは土塁が外周だけでなく、内部にも構築されたのではないかということ。遠見処から村上礎石群へ向かう箇所に、
谷を塞ぐように土橋状の道があるからです。
集落の北東の水田からは羽子板状の石組み(古墳?)が出てきて、
現在その石組みは水田の脇に置かれているそうです。
また25日にニュースになったばかりの独鈷杵についても発表。
独鈷杵は密教の儀式に使われる法具。
平安時代後期11世紀末から12世紀初頭のものとみられ、九州では最古級。
昨年4月に発見したのは登山者。山頂付近に落ちていたとうこと?!
土中から動物が掘り出した可能性があるとのこと。
大野城築城後、774年には新羅の呪詛に対抗して四天王寺(四王院)が創建されます。
その後、平安時代前期、851年には智証大師円珍(後の天台座主)が、
唐へ渡る前に四王院に滞在しています。
平安時代後期になると多くの経塚が造営されます。
四天王寺とはどんな寺だったのか、ますます知りたくなります。
松尾さんの最後の言葉が印象的でした。
「大野城にはなにがあるか分らない。
歩けば歩くほど疑問が湧く。
追えば追うほど遠ざかる」
なんて、ミステリアスな山でしょう。
そんな山を毎日見て生きています。
posted by 理乃(ニックネーム) at 13:28| 福岡 🌁| Comment(0) | ●大野城跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月20日

2016.2.20第9回発見塾『怡土城について』講師:糸島市教育委員会文化課 瓜生秀文氏 memo

今日の発見塾の講義がとても面白かったのでメモします。
怡土城は糸島にあるなぁ、くらいの認識でしたが、本日の講義でぐっと身近になりました。
築城にかかわった吉備真備も佐伯今毛人(さえきのいまえみし)も古代史のスーパースター。しかも地方出身というところが魅力的。
吉備真備は83歳、佐伯今毛人は72歳という、当時としては長寿を全うして亡くなりますが、その人生は波乱に満ちたものでした。
怡土城は8世紀半ばの城。
築城の理由は日本と新羅の関係悪化のため。
現在でも北に五カ所、南に2カ所の望楼跡・礎石群が残っています。
全長約2キロの土塁は残存状態がよいそうです。
吉備真備は太宰府で怪死した玄ムと共に橘諸兄のブレーンでした。
橘諸兄政権が弱体化すると藤原仲麻呂が台頭。
吉備真備も玄ムも大宰府に左遷されます。
造観世音寺長官として大宰府に来た玄ムは落成式の日、
「玄ム、玄ム……」という声に呼ばれて屋根に上ると、
現れた藤原広嗣の亡霊に切られます。
瓜生氏はこれを亡霊ではなく藤原広嗣の支持者ではと言います。
乱を起こした広嗣は政府軍から追われたとき肥前に逃げ込み、
済州島へ逃亡しようとします。それを助けたのが肥前の海人。
広嗣の父親、,藤原宇合(うまかい)が編集した「肥前風土記」には土蜘蛛(反政府軍)の記述が多いということ。
広嗣は結局は刑死となりますが、肥前の人々は「弥勒知識寺」を建立して広嗣を祀っています。
遣唐使時代に培った築城技術を生かしたのか、吉備真備が作った土塁はにがりを混入したとても堅固なもので、現代のパワーショベルでも掘ろうとすると火花が出るとか。
吉備真備と交代して築城にあたった今毛人は元々東大寺を造営していた人。
今毛人が左遷されたのは私欲的な政策を行使する仲麻呂を暗殺しようとする密謀、藤原吉継の乱の加担者であったため。
藤原仲麻呂の時代の不穏な人間模様はとても興味深い。
その仲麻呂はやがて運命の日を向かえ、政権は崩壊します。
遣唐使にやられたり、左遷されたりしながらも、うまく生き永らえた吉備真備のしたたかさ。
そして中央政府に完全に融和したとは言えない反政府的な地方の人々の存在。
揺れ動いた古代律令国家、日本。
土蜘蛛という存在など、古代史は面白すぎ!
以上、講義のmemoから。

写真は本日の太宰府天満宮の梅です。
飛梅は満開。ほかの梅はこれからが見頃です。

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posted by 理乃(ニックネーム) at 22:44| 福岡 ☁| Comment(0) | ★日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月12日

陶 佐々木厚展

太宰府北谷に窯を構える佐々木厚さんの個展が
新天町の「ギャラリーおいし」で開かれています。

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それは陶器というより彫刻といったほうがいいのかもしれません。
彫刻のような陶器。
陶器のような彫刻。

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そこに境界を作る必要はありません。
どちらでもなくて、どちらでもある。
ただそこに存在する形はその造形力で光を放つ。
陶器の森に迷いこんだよう。
土でできた人の群れのよう。
古代の薫りもするのは、
縄文土器のように土を焼いたものだからなのでしょうか。
個展は14日まで。
posted by 理乃(ニックネーム) at 21:01| 福岡 ☁| Comment(0) | NEWS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月07日

薄雪の都府楼跡

今朝、太宰府には雪が積もりました。
都府楼跡に行って誰もいない薄雪の写真を撮ることができました。

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ほんのり雪化粧の都府楼跡です。

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歩くとき、雪を踏みしめると、
きゅ、きゅ、きゅ、
く、く、くと音がしました。
posted by 理乃(ニックネーム) at 16:23| 福岡 ☀| Comment(0) | ●都府楼跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする