2016年12月30日

「チムニー」でディナー

昨日のディナーは「チムニー」で。
赤い暖炉のある「チムニー」はカフェ。
いつも笑顔のオーナーが温かく迎えてくれます。

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政庁通りの五条と梅大路の中間あたりにありますが、
中に入ると、オフホワイトの空間があり、とても静か。
個室もあるので便利。
オードブル、スープ(コーン)、メインの肉料理(ハンバーグ)、デザート(珈琲とミニパフェ)というコースでおなかはいっぱい。

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太宰府で家庭的な洋食を楽しみたいときはどうぞ。
肉料理でなく魚料理もチョイスできるし、
もっとボリュームをという方は両方味わえるコースもあります。
posted by 理乃(ニックネーム) at 17:46| 福岡 ☀| Comment(0) | ★グルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

JR都府楼南駅近くの風景

太宰府にもこんな風景が残っています。
年末のお買い物はどこもここも混んでいて、
これも抜け道の一つ。
離合できないから、ほとんど利用しないけど。
落ち着く風景です。

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posted by 理乃(ニックネーム) at 17:07| 福岡 ☀| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月29日

「太宰府と菅公」菊池寛

菊池寛全集 第21巻に収録されている「太宰府と菅公」を読みました。
昭和17年、菊池寛は京都奈良に次いで、
日本史の大舞台の一つとしての太宰府を訪れました。
そして太宰府町長や町の人々に頼まれこの本を書くことになりました。
菊池寛は町長たちに聞きました。
「懐良(かねなが)親王のご遺跡については、何か記念碑でもありますか」
ところが町長たちには懐良親王の名は初耳のようでしたので、
菊池は憤慨しました。
太宰府は天神様だけを町の誇りとしなければならないのかと。
刀伊の賊を撃退した藤原隆家の活躍や、
元寇の役の本営であったことなどを忘れてはいないかと。
日本の三代古都の一つである太宰府を天下に宣伝しないのは
太宰府町民の不覚であると。
この本には太宰府の歴史と菅公の伝記が書かれています。
特に太宰府の歴史の方は、
これまで読んだことがなかったことも書かれていて、興味深いです。
菊池寛に怒られぬよう、もっと太宰府の歴史を学んでいきたいです。
知れば知るほどますます面白くなる。
それが太宰府の歴史です。
※菊池寛全集は太宰府市民図書館で借りられます。
posted by 理乃(ニックネーム) at 23:59| 福岡 ☁| Comment(0) | ★太宰府関連本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月28日

日和

ニューカレドニアから来福しているエロアに太宰府を案内した日、
昼食を食べたのは天満宮の参道すぐそばの「日和」。
天満宮はお正月並にものすごく混雑しているのに、
一軒家の「日和」はとても静か。
落ち着いて食事ができます。
ペチカのある部屋の窓からは緑が見え、
庭では目白がみかんをつついていました。
「萩弁当」をいただきました。

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季節の野菜を使った料理はとても優しい味。
エロアはお箸を上手に使って食べていました。

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◆日和
太宰府市宰府1丁目15-16
TEL:092-929-0626
posted by 理乃(ニックネーム) at 22:00| 福岡 ☁| Comment(0) | ★参道のグルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

井上哲次郎生誕碑

安政2年(1855)に横町(現五条)で生まれた井上哲次郎。
9歳から13歳までは同じ町内の中村徳山の都成塾で学びました。
明治維新後は博多や長崎で英語を学び、
東大に入学し、フェノロサの元で哲学を修めました。
明治15年には東京大学助教授に就任、その後ドイツに入学。
帰国後は帝国大学で日本人で初めて哲学の教授となりました。
東洋の研究と西洋哲学の紹介、
国民道徳や国民教育の普及に尽くしたということです。
この生誕の碑は西正寺の近くにあります。

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posted by 理乃(ニックネーム) at 00:59| 福岡 ☁| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月21日

血方持(ちけもち)観音

五条の交差点からどんかん道に入り、
少し進むと左手の榎の下に祀られているのが血方持観音。

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近所の人は血方持さまと呼んでいます。
醍醐天皇(885年〜930年)のころ、
宮成某という人の妻は婦人病で苦しんでいました。
醍醐天皇といえば道真公を左遷した人。
そして道真公はその病気を治したといいます。
その後、妻は亡くなり、墓所に石仏を祀っていましたが、
いつしか婦人病に霊験あらたかという噂が広がり、
病気に悩む女性たちがお参りするようになったといいます。
posted by 理乃(ニックネーム) at 22:18| 福岡 ☁| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月19日

横岳崇福寺 毘盧庵(びるあん)跡

往時は広大な敷地を有していた横岳崇福寺。
法堂。仏殿、多数の子院、塔頭がありました。
そのほとんどは団地の開発で失われてしまっています。
今、その団地の一角(観世音寺6丁目)に残されているのがこの毘盧庵跡。

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石碑の表面には「勅諡普済大聖禅師塔所 崇福寺毘盧庵跡」と刻まれています。
普済大聖禅師とは鎌倉〜南北朝時代に活躍した筑前生まれの僧、
可翁宗然(かおうそうねん)の諡号。
可翁宗然は元に渡り、帰国後崇福寺にやってきました。
のちに南禅寺に移り、晩年は東山に天潤庵を建てて隠棲しました。

こんなに広大な崇福寺だったのに、
今ではかつての繁栄を伺い知れるものが少ないのが残念です。
posted by 理乃(ニックネーム) at 22:39| 福岡 ☁| Comment(0) | ●横岳崇福寺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月18日

中村徳山の碑

中村徳山は江戸時代に五条横町に生まれた漢学者。
幕末、自宅に近隣の子弟を集め、
手習い、論語などの漢学や詩作を教える
都成(とせい)塾を始めました。
同じ横町生まれの井上哲次郎も9歳から13歳まで
都成塾で学びました。
井上哲次郎はドイツに3年間留学し、
帰国後、東京帝国大学哲学科初の日本人教授となっています。

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posted by 理乃(ニックネーム) at 23:53| 福岡 ☁| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月16日

イリベナオヒサ作品展

小鳥居情報の古民家ギャラリー吾亦紅さんで
イリベナオヒサさんの陶芸の個展が開催されています。

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従来の食器や花瓶という実用的なものよりも、
オブジェ的なものが多いのが特長。
ノスタルジックなオブジェが、ほのぼのとした気持ちにさせてくれます。

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タンバリンやトースター、スピーカーに上履き。

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あった、あった!こんなの!と、思っても、
実際は陶器だから使えません。
でも、わたしは絵具のチューブを箸置きにすることにしました。

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明日、17日の午後2時から30分、
朗読(無料)があるということなので、
ご興味のあるかたはどうぞ。

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posted by 理乃(ニックネーム) at 21:47| 福岡 ☀| Comment(0) | ★参道のお店 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月15日

ショック! 毘沙門堂が焼けた!

去年出版した『麗し太宰府』。
太宰府も日々変化していますが、『麗し太宰府』掲載の場所も変わっていきます。
去年は学校院跡のカイノキが台風で倒れ、
12月12日の朝には、なんと国分の毘沙門堂が火事で焼け落ちてしまいました。

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原因は放火なのか、なんなのか分かりませんが、
今日撮影しに行って、そのあまりの無慘な姿に絶句。。。

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まだ焼け跡の匂いが残っていました。

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ムクノキにも延焼していました。

そばに若宮神社という小さな祠もあり、
この場所は若宮神社の杜と呼ばれ、杜全体が天然記念物となっています。

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ここに立つと、不思議な空気が流れています。
それはムクの巨木が発する霊気なのか、風が通り、
新鮮な気持ちになれるのです。
だから昔からこの場所は土地の人々に大事に守られ、
ムクの樹を切った者には祟りがあると警告していたのでしょう。
四王寺山の山裾にある毘沙門堂は四王寺山の由来となった毘沙門天が山頂近くにあって遠いため、
お参りしやすいように下に置かれたもの。

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古いお堂が近年立て替えられました。
中には石のレリーフの毘沙門天が祀られていました。

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今は骨ばかりとなって変わり果てた毘沙門堂。
石でできた毘沙門天だけは救われたのでしょうか?
この師走の時期にこんな姿の毘沙門堂を見るのは悲しい限りです。

※毘沙門天は焼けなかったけど、火事の熱のあと、
消防の水で冷やされたため割れてしまったそう。
でも国分寺で保存されているらしいです。
posted by 理乃(ニックネーム) at 21:35| 福岡 ☁| Comment(0) | ●毘沙門堂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする