2017年08月31日

太宰府関連本:杉本苑子『穢土荘厳(えどしょうごん)』

読み応えのある本を読了。
今年なくなった歴史小説家、杉本苑子の『穢土荘厳』だ。
300ページの上下二巻。二段組。
物語は長屋王の変(729年)の直前から始り、
東大寺の大仏開眼法要のクライマックスで終える。
聖武天皇の時代、蘇我氏系の勢力に対して、
宇合を中心とする藤原氏が権力奪取を企て、
宿敵長屋王を襲撃して一家を自殺に追い込む。
しかし藤原四兄弟は天然痘の流行で相次ぎ死亡。
代って台頭した橘諸兄、吉備真備、玄ムに反発した宇合の長男、広嗣は
左遷された大宰府から挙兵。
広嗣は鎮圧されるものの、度重なる出来事に憂鬱症気味の聖武天皇は
平城京を脱出して遷都を繰り返し迷走。
主人公と見なされる手代夏雄は長屋王の従者として登場。
主人が襲われたとき自らも傷つき、
動けるようになったとき、その企みに片思いの美女が加担したと知り、暗殺する。
その後、行基に出会い出家。
律令制、それは奴隷制と共にあった。
人と人として扱わない奴隷制。
大仏の造営作業の中で奴隷たちは傷ついても手当もしてもらえず、
それこそ虫けら同然に捨てられた。
そう彼らは人ではなかった。家畜と同じで市場で売買された。
律令制の話が出るとき、そういう闇の部分はあまり聞くことがなかったように思う。
彼らは溶けた銅で焼けただれても、
もちろん華やかな開眼法要に呼ばれることなどなかった。
昨晩読んだ大仏開眼法要の儀式を高みから眺める僧となった夏雄、こと行浄と
兄弟子、行善の会話に作者の主張が込められていて感動した。

「国ごとに国分寺・国分尼寺を配置し、
都に総国分寺たる東大寺を建てて大毘盧遮那仏をその中心に据えたのは、
おそらく聖武上皇が日本全土を一大仏国たらしめようと構想されたからでしょう。
でも、いまは亡きわれらの師行基大徳は『大伽藍などいらぬ、
仏像もいらぬ。仏者たるものの真骨頂は、
釈尊がなされたように王侯の身分を捨て、一鉢の食を乞いつつ真理を「探求することに在る。・・・』」

「壮麗な堂塔や巨大な仏像に先んじて、
施薬院、寮病院、あるいは飢民に食をほどこす悲田院などを、
もっと建てるべきでしたね。」

「皇族や貴族らには一切衆生の観念が持てないのだよ。
・・・・外側にはみ出して霞むほど遠くに押しやられた連中は
人間とさえ見なされていない。・・・・。」

「貴賎の垣、浄穢の偏見を打ち破って一切衆生の『心』の中に、
仏国土を創造することはついにできなかった」

「浄土は空のあなたに在るものではなく、
めいめいの心の中に求めるべきものなのだ」

奴隷はいなくなったのかもしれないが、
現代もまた律令の世のように病んでいる。
災害によって何年も仮設住宅に住み続けなければならない人々など、
もしも日本が仏の国なら、率先してやるべきことがあるだろう。

※『穢土荘厳(えどしょうごん)』参照

穢土荘厳〈上〉 (文春文庫) -
穢土荘厳〈上〉 (文春文庫) -

穢土荘厳〈下〉 (文春文庫) -
穢土荘厳〈下〉 (文春文庫) -
posted by 理乃(ニックネーム) at 17:07| 福岡 ☀| Comment(0) | ★太宰府関連本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする