太宰府の古い時代の聞き書きがあります。
最近、昭和23年頃から昭和31年頃まで連歌屋に住んでらっしゃった
Tさんに偶然巡り合い、
古いお話を少し聞けましたので、
ご紹介します。
下記地図の!マークの位置には当時お風呂屋さんがありました。
お風呂屋さんの右隣には材木屋、米屋があったそうです。
お風呂屋さんの向かいには平島自転車、
その左隣には洋服屋さん。
黄色の道を挟んだ向かいには煙草屋。
浦の城橋の袂には豆腐屋があったそうです。
黄色の道は当時進駐軍の戦車も通って行きました。
宇美に米軍関係の施設があったらしく、
そこへ向かっていたということです。
またこの道は木炭バスも通っていました。
馬車も通り、
道には糞が落ちていました。
当時は岩踏川の水もきれいで、
おばちゃんたちは岩の上で洗濯をし、
子どもたちは泳いでいたということです。
【関連する記事】