2008年10月19日

追憶の太宰府 Tさんからの聞き書き その2

昭和23年頃〜昭和31年頃まで連歌屋に住んでらっしゃった
Tさんから伺った話の覚書、その2です。

だざいふ遊園地のあった場所は湿地帯だった。
相撲の土俵があった。

お石茶屋の奥には吊り橋があった。
 ↓
【これはわたしもかすかな記憶があります。
もっとのちなってからの記憶ですが…。
あの吊り橋はいったいいつなくなったのでしょう?
そしてどこからどこへ渡るための吊り橋だったのでしょう?】

境内にはタンチョウ鶴がいた。

太宰府の人は梅ヶ枝餅とは言わず、
やきもちと言った。

当時梅ヶ枝餅を5個頼むとすると、
5個のほかに山盛りの餡子が付いてきた。
正式の食べ方は1個の梅ヶ枝餅に
この付いてきた餡子をのせて食べるというものだった。
当時の梅ヶ枝餅は1個5円だった。
持ち帰りは竹の皮に包まれていた。

鬼すべは連歌屋の四つ角でも
火を燃やしていた。

ps.
扁桃腺炎で高熱を発し、
未だ回復せぬまま、
とりあえず伺ったことを忘れないうちにとメモした次第の
文章となっております…。
(高熱とともに読みふけって完読した
「暗黒館の殺人」なる奇書についても書きたいと思えど、
もう体力が…)

posted by Rino(ニックネーム) at 22:36| 福岡 ☁| Comment(0) | ★追憶の太宰府 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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