なかなかアップできなかった九博の「よみがえる国宝」展。
『源頼朝像』の大きさにびっくり。
教科書で見ていたものだから、
もっと小さいと思い込んでました。
やっぱり実物をみなきゃですね。

暑い夏に見ると、涼しくなってしまう絵がこれ↓

国宝「人道不浄相図(にんどうふじょうそうず)」。
六道絵(ろくどうえ)のうちの1幅
鎌倉時代。13世紀。
滋賀・聖衆来迎寺
こわ〜いから、このくらいの大きさで。。。
残念ながら展示期間は終了したよう。。。
六道絵とは天・阿修羅・人・畜生・餓鬼・地獄という六つの世界(六道)を輪廻転生することを厭い、
浄土信仰の世界へ導くことを目的に描かれたもの。
※参考:九博ホームページ
美女が亡くなって野外に放置され、
やがて朽ちていくさまを描いた有名な絵画です。
そんなむごい、趣味が悪い。。。というなかれ、
これが死の真実。。。
こういう絵を見ると、
人生はあまりに虚しすぎて生きる気をなくすくらい。。。
でも、虚しいからこそ、
実りある生をまっとうしなければ、
と、この絵は語っているのではないでしょうか。。。
※写真は九州国立博物館の提供を受けています。
考えを変えてみたのです。
本来の「われわれ」は別の(見えない)ところにあって、この現世の姿は、仮
の姿かもしれないと‥‥。仮の姿でありながら、必要なことを経験するため
にあると‥‥。
そうだったら、いろんなことの辻褄が合ったりするのですが‥‥??
ちょっと、話が飛びすぎたかもしれません。
わたしの場合は、現世こそがすべて、という考え方です。
生にはいろんな考え方がありますね。
現世が仮の姿だとしたら、
本体はいったいどこに???
「百聞は一見に・・・。」今回の展示は、国宝そのものだけでなく、文化財関係者のご苦労にも触れることが出来ますので、拝観者それぞれがいろんな思いを持ち帰られることでしょう。
肉体としての我もあり、魂としての我もあり、もっと他の形の我も‥‥。
もし、肉体だけの我しかないとしたら、死というのは終わりを意味しますね。
もちろん、この流れになんら間違いはないのですが、死は決して終わりでは
なく、始めでさえある、などといったら‥‥。
現世では、生老病死から逃れられません。これが必要な経験というものでは
ないでしょうか。
生まれて三日も生きなかった‥‥。
蝉の命は7日しかない‥‥。
ファラオとして、人の上に君臨した‥‥。
宇宙は気が遠くなるほど広大だ‥‥。
生は単純に喜びであるか‥‥。
死は単純に敗北であるか‥‥。
説明のつかないことが、いくつもいくつもありますね。
済みません、長くなりました。
いろいろな考えが、あってしかるべきでよう。
今日は太宰府に入ってくる車が多かったように思います。
こんなに暑いのに、天満宮や九博を目指しているものと思われます。
夏休み、文化にいっぱいふれてほしいですね。