2015年03月06日

高橋紹運辞世の句碑

今日の太宰府コア情報は高橋紹運の辞世の句の碑です。
天正14年(1586年)、5万と言われる大軍を率いた島津軍とわずか763人の高橋紹運(じょううん)率いる大友軍は壮絶な戦(岩屋城の戦い)を四王寺山にあった岩屋城で繰り広げました。
紹運以下全員が討死して戦いは終了。
大軍に対して決して怯(ひる)まなかった紹運は豊臣秀吉から戦国の花と呼ばれました。
四王寺山の焼米ヶ原のあたりでは水ノ手上砦部隊が戦いました。
この碑は家臣村山刑部以下68名の慰霊碑。
裏に高橋紹運の辞世の句が記されています。
では碑のある場所を。。。
四王寺林道の岩屋城入口から車でさらに先に進みます。
すると道路右側に駐車場があります。
ここから土塁や焼米が原、太宰府口城門などへ行けます。
駐車場からすぐ右手の高くなったところに碑はあります。
碑の裏側には木があるし、標識もないので、見落としがち。
では刻まれた辞世の句です。
 「流れての 末の世遠く 埋(うず)もれぬ 名をや岩屋の 苔の下水(したみず)」

20150220焼米ヶ原高橋紹運辞世の句.jpg
posted by Rino(ニックネーム) at 11:48| 福岡 ☁| Comment(0) | ●四王寺山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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