2016年02月20日

2016.2.20第9回発見塾『怡土城について』講師:糸島市教育委員会文化課 瓜生秀文氏 memo

今日の発見塾の講義がとても面白かったのでメモします。
怡土城は糸島にあるなぁ、くらいの認識でしたが、本日の講義でぐっと身近になりました。
築城にかかわった吉備真備も佐伯今毛人(さえきのいまえみし)も古代史のスーパースター。しかも地方出身というところが魅力的。
吉備真備は83歳、佐伯今毛人は72歳という、当時としては長寿を全うして亡くなりますが、その人生は波乱に満ちたものでした。
怡土城は8世紀半ばの城。
築城の理由は日本と新羅の関係悪化のため。
現在でも北に五カ所、南に2カ所の望楼跡・礎石群が残っています。
全長約2キロの土塁は残存状態がよいそうです。
吉備真備は太宰府で怪死した玄ムと共に橘諸兄のブレーンでした。
橘諸兄政権が弱体化すると藤原仲麻呂が台頭。
吉備真備も玄ムも大宰府に左遷されます。
造観世音寺長官として大宰府に来た玄ムは落成式の日、
「玄ム、玄ム……」という声に呼ばれて屋根に上ると、
現れた藤原広嗣の亡霊に切られます。
瓜生氏はこれを亡霊ではなく藤原広嗣の支持者ではと言います。
乱を起こした広嗣は政府軍から追われたとき肥前に逃げ込み、
済州島へ逃亡しようとします。それを助けたのが肥前の海人。
広嗣の父親、,藤原宇合(うまかい)が編集した「肥前風土記」には土蜘蛛(反政府軍)の記述が多いということ。
広嗣は結局は刑死となりますが、肥前の人々は「弥勒知識寺」を建立して広嗣を祀っています。
遣唐使時代に培った築城技術を生かしたのか、吉備真備が作った土塁はにがりを混入したとても堅固なもので、現代のパワーショベルでも掘ろうとすると火花が出るとか。
吉備真備と交代して築城にあたった今毛人は元々東大寺を造営していた人。
今毛人が左遷されたのは私欲的な政策を行使する仲麻呂を暗殺しようとする密謀、藤原吉継の乱の加担者であったため。
藤原仲麻呂の時代の不穏な人間模様はとても興味深い。
その仲麻呂はやがて運命の日を向かえ、政権は崩壊します。
遣唐使にやられたり、左遷されたりしながらも、うまく生き永らえた吉備真備のしたたかさ。
そして中央政府に完全に融和したとは言えない反政府的な地方の人々の存在。
揺れ動いた古代律令国家、日本。
土蜘蛛という存在など、古代史は面白すぎ!
以上、講義のmemoから。

写真は本日の太宰府天満宮の梅です。
飛梅は満開。ほかの梅はこれからが見頃です。

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posted by 理乃(ニックネーム) at 22:44| 福岡 ☁| Comment(0) | ★日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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