2018年08月17日

森鴎外「小倉日記」

img537.jpg


森鴎外の「小倉日記」。
明治32年から35年まで、2年10ヶ月に渡って、
第12師団軍医部長として小倉に暮らした鴎外は誰と会ったとか、
どこに行ったとか、淡々とした文章で小倉時代の日記をつけていました。
ただ漢文調なので、読みにくい。

その中で二回太宰府を訪れたことが書かれています。
一回目は明治32年10月2日。
久留米米出張の時、二日市から人力車に乗って、
太宰府に泊まっています。
その旅館こそ参道の「松屋」さん。
隣室は村の男が泊まり、女性を数人連れ、
淫猥な歌を歌ってうるさい。
さらに住吉小学校の生徒百余人が同宿。
生徒たちは宝満山へ登って日の出を拝むために、
朝二時に起きて出かけていきました。
終夜騒がしくて眠れなかったと散々な印象が書かれています。
そして一句。
「遠足や 生徒寝あまる 秋の宿」

翌日は天満宮、観世音寺で丈六仏を見、
戒壇院、都府楼跡まで足を伸ばしています。
今ある3つの碑は当時、都督府古址、太宰府址碑の2つしかなく、これも見ています。

二回目は明治35年3月19日。
再婚した美しい妻、茂子を連れて。
雑餉隈で下車し、大野、水城を経て祠に行き当たります。
祠がどこかは不明。
夜は田中賢道氏の家に泊まり、吉嗣排山も来て、
高山彦九郎正之の書を見ています。
翌日も吉嗣排山が訪れ、書画扇を贈られています。
posted by 理乃(ニックネーム) at 00:42| 福岡 ☁| Comment(0) | ★太宰府関連本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: