2019年07月18日

2019.6.4 筑紫万葉の故地をたずねてI都府楼跡東側の万葉歌碑

ラスト、都府楼跡東側(大宰府展示館横)の万葉歌碑です。

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「あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は
咲く花の  薫ふがごとく 今さかりなり」
(小野老)

〜奈良の都は咲く花が香るように今盛りだ〜

小野老(をののおゆ)は大宰少弐でした。
大宰少弐は大宰帥の下の大弐の次官。
旅人の部下となります。
神亀5年(728年)4月頃大宰少弐として大宰府に赴任したのち、
小野老は10月頃大宰府の実情を朝廷に報告する朝集使として
平城京に赴き報告し、
その後も神亀6年(729年)3月頃まで
平城京に留まっていました。
小野老が平城京にいる間の神亀6年(729年)2月11日に起こったのが
長屋王の変。
長屋王の変後の3月4日の叙位では
藤原氏サイドの官人が多く昇進し、
小野老も従五位上に昇進しています。
のちに大宰大弐にもなっています。
藤原四兄弟が幅を効かせていた平城京を讃える歌だとしたら、
長屋王サイドだった旅人と
は、裏で確執があったのかも・・・。
梅花の宴もそういう政治上の立場といった目線で見ると、
また違った見え方をしてきます。

ちなみに梅花の宴では小野老は以下の歌を詠っています。

「梅の花 今咲ける如(ごと) 散り過ぎず
わが家(へ)の園(その)に ありこせぬかも」

〜梅の花は今咲いているように、散り過ぎず、わが家の庭にも咲いてほしい〜

この歌は大弐紀卿の次に詠まれています。
posted by 理乃(ニックネーム) at 17:59| 福岡 ☁| Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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