2020年07月04日

「 鎌田誠一と元寇教育」

昨日、福岡日中文化センターであった
「 鎌田誠一と元寇教育」という講義を聞いてきました。

鎌田誠一は1932年、上海事変の戦禍の中、
魯迅とその家族・書籍 を守った糸島出身の青年です。

鎌田誠一は福岡中学校へ通い、
美術教師と出会ったことから絵を描くようになりますが挫折。
兄が勤めていた上海の内山書店で魯迅と出会い、
絵画好きということもあって交流を持ちます。
元来体が弱く、帰国し28歳で亡くなります。
その墓碑に魯迅が揮毫しています。

鎌田誠一は糸島の御床(みとこ)の庄屋の家に生まれました。
御床の西林寺は観世音寺の子院だったと言われています。
現在の国指定重要文化財木造阿弥陀坐像の前に金属の敷物が置かれていますが、
これは観世音寺草創の折、本尊とするため
中国から渡された銅造阿弥陀如来像の台座と伝えられています。
その銅造阿弥陀如来像は岩屋城の合戦の際、
薩摩兵によって刀の鍔にされたといいます。

御床は遥か昔の観世音寺の隆盛を思い起こさせる地でしたが、
一人の青年が中国へ渡り、魯迅と交流した記憶を残す地でもありました。

*「 鎌田誠一と元寇教育」講師 柳田純孝氏(元福岡市教委文化財部長)
posted by 理乃(ニックネーム) at 13:14| 福岡 ☔| Comment(0) | ●観世音寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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