2007年11月27日

「苅萱(かるかや)の関跡」

西鉄都府楼前駅から歩いて5分ほどのところにある「苅萱(かるかや)の関跡」。

karukaya.jpg

「苅萱道心(どうしん)と石堂丸」の伝説が有名です。

苅萱道心とは苅萱の関の関守をしていた
加藤左衛門尉繁氏(さえもんのじょうしげうじ)が
出家した後に名乗った名前。

繁氏の父、加藤左衛門尉繁昌(しげまさ)は40歳を過ぎても子に恵まれず、
香椎宮に願をかけに行きました。
すると、夢枕に香椎宮の使いが立って、
「箱崎の松原の西の橋際の石堂口の川のほとりに玉のような石がある。
これを持ちかえり妻に与えれば、
必ずや男の子が生まれるであろう」
とのお告げがありました。
石堂口へ行くと、お地蔵様があり、
その左手に光明を放つ丸い石が乗っていたので、
大事に石を大宰府の家に持ち帰り、
妻に与えたところ、妻は男の子を出産しました。
その子に石堂丸と名づけたのです。
この石堂丸が繁氏、後の苅萱道心です。

繁氏には妻と娘と妾(そばめ)がいて
皆仲良く暮らしていました。
しかし、それは上辺だけで妻と妾は憎みあっていました。
自分の罪を知った繁氏は家族を捨て、
苅萱道心と名乗り、高野山で修行をします。

十数年たったある日、
繁氏は父を探して高野山をさまよう男の子に出会います。
話を聞くと、その子は自分が旅立ったあとに妻が産んだ我が子…。
妻はその子に父と同じ石堂丸と名付けていました。
妻と子は繁氏を探して高野山まで来たのです。

ところが、世を捨てた繁氏は、
父と名乗ることもせず、石堂丸を帰します。
再び繁氏を訪ねた石堂丸は、
麓で待っていた母は亡くなり、
大宰府に戻ると姉もまた亡くなっていたと言います。
石堂丸は家族を弔おうと再び繁氏を訪ねたのです。

繁氏はそれでも父とは告げず、
我が子を弟子として迎え、
石堂丸も父とは知らず、一生仏道修行をしたそうです。
(ひどい父です…)


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posted by 理乃(ニックネーム) at 12:56| 福岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ●苅萱の関跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
mag2のメルマガを毎回楽しみに読ませていただいてます。
理乃さんのおかげで散歩するエリアが広がってます。

(ひどい父です…)
「男」なんて、何時の時代もそんなもんですよ。
名乗る事で威厳を無くすことを恐れ、
でも師弟として、かわいい我が子と一緒に暮らす。
本当に男というのは我儘な生き物です。
Posted by kanz at 2007年11月28日 11:03
kanzさん、はじめまして。
メルマガを読んでいただいているということ、ありがとうございます!
励みになります。

繁氏が父と名乗らなかったのは、
威厳をなくすから…、そうだったのかもしれませんね。

これからもよろしくお願いします。
Posted by 理乃 at 2007年11月28日 11:22
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