このとき紅姫と隈麿の二人の子どもたちを連れてきていました。
(道真には23人子どもがいたと言われています)
ひどい暮らしぶりの中で道真は脚気や皮膚病に悩み、
胃腸もこわすという状態になりましたが、
隈麿は、大宰府に着いた翌年、病で急逝してしまいます。
隈麿のお墓は榎社の近くの小高い丘にあります。
「隈麿之奥都城」がそれ。
奥都城とは墓所を意味します。

紅姫のことはよく分かっていないようですが、
一説には隈麻呂に次いで翌年、道真も亡くなってしまったので、
土佐に流された道真の長男、高視の元に向かったと言われています。
榎社の社殿裏には紅姫の供養塔があります。
「隈麿之奥都城」から東へ4〜5分の所にも、紅姫の供養塔といわれる板碑があります。
「隈麿之奥都城」のある丘は納骨堂があって、
その一角に祠があります。
祠の脇には六つの花弁をつけるという
梅の木があります。

ラベル:菅原道真
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