2008年03月30日

妙香庵の最澄の銅像

内山で最澄を発見!
5メートルもある大きな像です。

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天台宗妙香庵の境内にある昭和六十二年に建立された銅像です。
最澄は玄界灘の向こうの中国の方角を向いて立っています。

宝満山の麓のこの地は最澄が遣唐船を待ったところ。
延暦22年(803)、難波津から唐に向けで出航した船は
瀬戸内で暴風雨に合って難破。
その後、1年を竈門山寺などで過ごしたそうです。
この像はそのころ、最澄が30代のときの姿ということ。

804年、最澄は唐に渡り天台山で天台教学を学び、805年に帰国。
そのとき最澄が到着したのは花鶴ヶ浜(古賀市)。
最澄は帰国後の布教の拠点となる場所を探すため、
持っていた独鈷と鏡を空へと投じました。
二神山(立花山)の山中でこの二品を探し求めていたところ、
地元の猟師と源四郎と出会います。
源四郎は最澄を独鈷の元へと導きます。
最澄は布教のため源四郎の家にしばらく滞在。
上洛する際、最澄は滞在のお礼に岩井の水(井戸)と
唐から持ち帰った法火と毘沙門天像を源四郎に授けました。

この源四郎の家は千年家として現在も残っています。
そして「法火」は今でもかまどの火種として燃え続けているのです。

追記:
法火は妙香庵へ「蓮華のともし火」として移されています。

■妙香庵
太宰府市内山384−8


ラベル:最澄
posted by 理乃(ニックネーム) at 12:19| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ●妙香庵 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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