太宰府は江戸時代、宰府参りが盛んでした。
宰府参りとは太宰府(当時は安楽寺天満宮)に参詣に行くこと。
宰府参りは太宰府周辺の名所を巡ったり、
二日市温泉でお湯に浸かったり、宿場に止まったりして、
庶民の娯楽でもあったようです。
そんな宰府参りで通っていく道が関屋のこのあたり。

これが関屋の一の鳥居。
太宰府天満宮には鳥居がいくつかありますが、
これがほんとの一つ目なんです。
以前トラックがぶつかって鳥居の一部が新しくなってます。

宰府参りの人々のために潮斎台(しおいだい)、石灯篭、道標なども置かれました。
(道路ができたりして、位置は昔とはずれているようです)
石灯篭から3つ目の道標には
表に「是ヨリひがしさいふ参詣道」、
裏に「元禄四年(1691年)辛未天寄進 福岡呉服町 帯当金宇兵衛」と彫られています。
この元禄4年の道標は太宰府の最も古い道標ということです。

これが潮斎台(しおいだい)。
天満宮に行くために、この台の上に乗せた砂で身を清めたのだとか。
これを掘った石工さんは、あの広田弘毅のおじいさんということ。
ここに梅の模様(梅鉢紋)が彫られているんです。

ね。

かつてこのあたりには茶店が並んでいたそうです。
高橋紹運の岩屋城合戦にちなんだ「関屋のつなぎだご」という名物も売られていたということ。
どんなおだんごだったのでしょう? 気になる〜。
posted by Rino(ニックネーム) at 22:20| 福岡 🌁|
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●関屋の一の鳥居と石碑
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