2014年05月05日

国博通り「伝衣塔(でんえとう)」

さて、前回の続きです。

梅壺侍従の碑を見つけたら、
さらにその奥に目をやってください。

緑に包まれた中に小さな塔が
やはり大事に置かれていることに気付くでしょう。

20140504国博通り6_1.jpg

ここも、わたしの好きな景観の一つですが、
やはり春が一番緑が瑞々しくて美しいです。

先の藍染川からもっと時代が新しいお話です。
それでも鎌倉時代のことです。

太宰府の横岳(よこたけ ※四王寺の麓)というところに崇福寺というお寺がありました。
福岡藩主黒田家の菩提寺の崇福寺(今は博多区千代町)は、
もともとは太宰府にあったのです。

崇福寺は仁治2年(1240)に湛慧(たんね)によって創建。
翌年、宋から帰国した聖一国師(円爾弁円)が開堂(禅宗で住職となった僧が最初の説法を行う儀式)します。
聖一国師は禅の普及を始めた人。
聖一国師は仁治3年(1241)、博多に承天寺を建立します。

さて聖一国師が横岳の崇福寺にいたころ
夢枕に菅原道真が現れ禅について問いました。
そこで聖一国師は自らが学んだ宋の仏鑑(ぶっかん)禅師を紹介するのです。

そのころ神様になっていた道真公は一夜のうちに宋に渡り
たちまち悟りを開いて戻って来られます。
悟りの証に法衣(ほうえ/僧尼が着用する衣服)を授かったといいます。
その法衣を聖一国師の弟子の鉄牛円心(てつぎゅうえんしん)和尚が
収めて建てた塔がこの伝衣塔なのです。
そしてそのとき創建された寺が、この先にある光明禅寺といわれています。

20140504国博通り7_1.jpg


※参考/伝衣塔説明書き・西都 太宰府
posted by Rino(ニックネーム) at 15:28| 福岡 ☁| Comment(0) | ●伝衣塔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする