2023年06月22日

うーの家

以前から気になっていたアンティークな注文住宅のモデルハウス
「うーの家」に行ってきました。

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フレンチな感じのインテリアもすてき。

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うーってなんだろうって思っていたんですが、
ぶーふーうーのうーでした!
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2023年01月07日

国分ヶ丘

太宰府市国分に42年間あった地名。

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国分ヶ丘は昭和29年に分譲住宅と県公舎を主体に発足しました。
平成8年に県公舎跡地に文化ふれあい館が建設されたのを機に国分に編入。
この石碑は国分ヶ丘を偲ぶために集会場に建てられました。

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ラベル:国分ヶ丘
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2022年08月05日

2022.7.31水城小学校旧校舎お別れイベント

水城小学校の校舎が建て替えられるため、
旧校舎のお別れイベントがありました。

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昭和レトロな建物はわたしが小学校のときに通っていた建物そのもの。

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わたしの時代の自由さとうって変わり、
今は小学校の敷地は許可なく入れません。
そのため遠賀団印(おかだんいん)のモニュメントも久しぶりに目にしました。

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遠賀団は古代に筑前国におかれた軍団の一つ。
そのオフィシャル印が1899年、水城小学校の敷地内で発見されました。
縦4.2cm、横4.1cm、高さ5.2cmの銅印です(国の重要文化財)。
今は太宰府になく、なぜか東京国立博物館にあります。
古代では数百人から千人の兵士がいる軍団が各国に数団ずつ置かれていました。
成人男性3人に1人が兵士に徴発され、
本籍地に近い軍団に所属しました。
「遠賀」は現在の北九州市の西側の地名。
そのあたりの出身者が徴兵され太宰府にいたのでしょうか。

*日本遺産太宰府HP参考
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2022年07月31日

嶋評

昨日の「もっと知ろう太宰府講座」で、
最近の発見として印象深かったのは
やはり「嶋評(しまのこおり)戸口変動記録木簡)」でした。
この木簡が国分松本遺跡で発見されたのは2012年のこと。
人名や身分などを7世紀末に記録した日本最古の木簡でした。
律令国家体制が整う大宝律令の施行に先駆けて
戸籍制度が完成していたことを示す貴重な発見でした。
昨日のお話では発見されて水に浸けられているとき、
その文字がきれいだったことに驚かれたということでした。
表と裏に文字があり、
もともと折られたところは字が欠けています。
川に流された木簡は粘土状のところに残り、
表は水が流れていくので字がかすれ失われていますが、
裏は粘土に密着していたことが幸いして、
1300年前のものとはとても思えないほど
字が鮮明に残っていたということでした。
「評」というのは大宝律令以前の地方行政単位
「国・評・里」の一つで郡に相当し、
「嶋評」は現在の福岡県糸島市や福岡市西区に当たります。
最古の戸籍は正倉院に伝わった文書「筑前国嶋郡川辺里戸籍」(702年)でしたが、
それ以前の戸籍は不明でした。
国分の木簡は701年に「評」が「郡」に変更され、
685年に「進大弐」(木簡に記載あり)の冠位使用が始まったていたことから
685〜701年に作成されたものとされています。
木簡には正倉院の戸籍と共通する
「川部里」という里の名がありました。
「建部身麻呂(たけるべのみまろ)」など
16人の名前や「兵士」や「丁女」(成年女性)などの
身分や性別、「老女之子」などの続柄も記載。
1年間の人の異動を記録した帳簿とみられ、
筆跡から同一人物が書いた可能性もあるということ。
正倉院文書には「川部里」の奴婢37人を含む
戸口124人を擁する大領肥君猪手の戸が記載されていて、
国分の木簡には正倉院の戸籍のわずか数年前の隣人が
記載されていたことになるというお話でした。
「川部里」があったという地は以前、
歴史探訪で訪れました。
糸島半島の中央にある六所神社のあたりです。
奴婢もいた川部里の里。
当時の人はどんな暮らしをしていたのか。
あまりに古いこのタイムカプセルに心動かされるばかりです。

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六所神社(糸島市)

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*日経新聞HP参考
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2022年03月19日

国分毘沙門堂

一昨年のことですが、
山頂のほうの毘沙門堂の登山口にあった釈迦堂を見に行ったとき壊れていて看板が落ちていました。

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先日、国分のほうの毘沙門堂に行ったら、
なんとその看板が預かられていました。

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国分毘沙門堂

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国分毘沙門堂内部

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2022年02月14日

宮ノ本遺跡6号墳

文化ふれあい館の七重塔のレプリカの奥には
箱式石棺が3つ置かれています。

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箱式石棺とは弥生時代から古墳時代に作られたお墓。
文化ふれあい館に置かれているのは
右が宮ノ本遺跡7号墳、
中央が成屋形遺跡、
左が宮ノ本遺跡6号墳のものです。
宮ノ本遺跡(大佐野)は古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀後半)のもの。
11基古墳があったといいます。
6号墳は発掘当時の写真が添えられていて、
不鮮明ですが、
よく見ると二体の骨が横向きに抱き合うように葬られています。

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二体が一つの棺に葬られているのは珍しいとのこと。
しかも同時に葬られたのではなく、
左の遺体が先に葬られ、
右の遺体が追葬されたといいます。
左が20代の男性で右が20代の女性だったそうです。
二人はどういう関係だったのか。
先に亡くなった男性の死を女性は嘆いたのでしょうか。
二人が愛し合う夫婦、あるいは恋人であったらと思うと、
胸が痛みます・・・。

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2022年01月21日

天神の森@吉松

吉松2丁目に「天神の森」というブロックで囲われた小さなゾーンがあります。

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菅原道真公が腰掛けたという小さな石があったそうなのです。
竹薮となりマムシがたくさんいたので、
周囲にサカキを植えて中に入らないようにしていたということ。
現在、竹は見当たりませんが、サカキはあります。
ですが、ヤブになっていて、
小さな石があるのかは確認できません。
ナゾです・・・。

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*太宰府市文化遺産情報参考
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2021年11月03日

2021.10.27 文化遺産研修:国分>姿見井

研修で国分を歩きました。
新しい気付きを一つ。
菅原道真公の伝説が残る姿見井(すがたみのい)。

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道真公は大宰府に入るとき、
旅衣を脱いで、そばの松と石に衣を掛けました。
新しい衣に着替える際に、
姿を池に映したという言い伝えが残るのが姿見井。
今では水は枯れていますが、
雨が降ったときに水が溜まるようするためか、
くぼみのある石が一つあります。

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ラベル:姿見井
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2021年11月01日

2021.10.14 客館跡

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展望所の屋上からの眺めがよく、
床の案内プレートを見ると位置関係がとてもわかりやすいです。

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新調された旗もかわいいです。

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2021年10月31日

薬師山

東の陵、東蓮寺跡ともいわれる通古賀の薬師山。
東蓮寺は最澄の筑前七薬師を納めた寺のひとつと言い伝えられています。
田中熊別の霊を祀るために後裔の田中熊秀が建てた寺との伝承が残っていて、
田中の森が西陵と呼ばれるのに対し、薬師山は東陵と言われます。
そこに大行事碑があるのですが、
今回、大行事碑の奥に梵字が刻まれた石碑があることを知りました。

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*参考/太宰府市HP
ラベル:薬師山 大行事
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2020年05月29日

吉松の観音堂&地蔵堂

まほろば号のバス停、「特別史跡水城跡西門前」の前に
観音堂と地蔵堂があります。

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地域の方々にとても大事にされていることは、
きれいに保たれていることから見て取れます。
観音堂には十一面観世音菩薩が祀られています。

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観音堂の右手の地蔵堂は地蔵菩薩のほか弘法大師座像、
阿弥陀如来座像、切石馬頭観音など、
個人でお祀りできなくなった仏様、お地蔵さま、大師像などを集め、
7体が祀られています。

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*太宰府市HP参照

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2020年05月18日

田の中の石

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坂本の棚田の中にぽつんとある石(大字坂本字善正寺)。
残念ながら草に埋没してます。
ここは善正寺跡と言われています。
小字も善正寺。
耕作の邪魔になるからと田の外に石を出したら、
不幸があったので、また戻したといわれています。
戌の薬師(インノヤクシ)を挟んで反対側には
「ヲモナ石」と呼ばれる石もあります。
こちらは小字もヲモナ石。
大宰府政庁のちょうど北側にあたりますが、
政庁建設の標準石という伝承があります。
ヲモナ石を見に行くと風邪になるという伝説もあるため、
今、風邪をひいてはよろしくないので、
見に行くのは自粛しました。
大事なものだから自粛させるためにこのような伝説が
恣意的に作られたものかもしれませんね。

*太宰府市HP参照
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2020年04月21日

客館跡史跡広場オープン

静かにオープンした客館跡史跡広場。

1300 年前、外国の使節を迎えた古代の客館跡。
天然痘の流行も、ここから始まったのでしょうか。
平成26 年に国特別史跡大宰府跡に追加指定され、
整備が進められやっと完成。

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無人の展望所からは当時の建物の配置がわかり、
周囲の山並みも眺めることができます。

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*駐車場なし

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2019年09月18日

Jazz工房Nishimura「Spanish Connection」

昨日は誘われて、
初めてJazz工房Nishimura(太宰府市朱雀)に行き、
最高にプロフェッショナルな「Spanish Connection」のライブを聞きました。

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「Spanish Connection」はNHKの番組の音楽とか担当しているブループで、
ジャズというより、
フラメンコを核にクラシック、ジャズ、民族音楽のテイストを織り混ぜた多国籍な感じ。
一人ひとりが超絶テクニックの持ち主で、
きりっと締まりがあり、
素晴らしい呼吸でまとまっています。

メンバーは伊藤芳輝さん(Guitar)、
平松可奈さん(Violin)、
吉見征樹さん(Tabla)、
箭島裕治さん(Bass)。

からだをくねらせて演奏する可奈さんのチャーミングなこと!
情熱的で、エキゾティックで、
音楽の渦の中にオーディエンスを引き込み、
拍手喝采でした。
大人な空間でハイレベルな演奏が聞けて、
とてもいい夜でした。
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2019年06月28日

飛梅原木

通古賀の私有地にある飛梅原木です。

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ラベル:飛梅原木
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2019年04月18日

衣掛の石

衣掛の石は水城館近くの県道112号線沿いにあります。

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道真公が大宰府に来たとき、
東門から入り、着替えるために衣を脱いだとき、
掛けた石がこの衣掛の石と伝えられています。
衣掛の石はクリーニング工場の中にあって見にくかったのですが、
今はクリーニング工場が閉鎖され、県道に面した祠の中にあります。
石には宝篋印塔が彫られています。
posted by Rino(ニックネーム) at 23:11| 福岡 ☀| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月28日

通古賀近隣公園のドロクサンヤネのセンダン

通古賀へ用事があったので、
近隣公園のドロクサンヤネのセンダン(古名は楝:オウチ)を見てきました。

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樹齢200年前後のセンダンの木。

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江戸時代、通古賀に住む医者の陶山道益氏は
氾濫を繰り返す御笠川の堤防を丈夫にするために竹などを植えましたた。

薮となった堤防は「ドウエキサンヤネ」と言われ、
いつしか「ドロクサンヤネ」と変化したもよう。
御笠川が氾濫しやすい川ということを警告する木です。

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国道3号線との境の壁には神幸式の絵が描かれています。

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このセンダンは太宰府市内にある木の中でも大きなもの。


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人っ子一人いない公園で道益さんを偲ばせる大木を眺めてきました。

※太宰府市文化財情報サイト参照。

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駐車場あり。
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2017年05月21日

唐人町 黒門川通りの水路

昨日行った唐人町の黒門川通りですが、
水路が作られていて、
暑い日だったけど、水路の上は涼しかったです。
水路に沿ってベンチを置けばもっといいのにと思いました。

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太宰府の小鳥居小路もこんなふうになるといいなと思います。
水路の水を感じるように。
水辺を楽しめるように。
ばんこをたくさん出して涼むのです。
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2017年03月10日

さいふまいり

今年の太宰府検定のテーマ出題は「さいふまいり」。
市役所には「さいふまいり」の案内板があります。

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さいふまいりとは宰府詣り(太宰府参詣)のこと。
平安時代に太宰府参詣をしてたのは官人や文人。
そこに庶民が加わったのは江戸時代以降のこと。
さいふまいりの人々は宰府宿の旅籠や宿坊に泊まって、
太宰府天満宮のほかにも水城跡、都府楼跡、
観世音寺、戒壇院などを巡っていたようです。

案内板にあるのは天保15(1844)年に斎藤秋圃(しゅうほ)の「博多太宰府図屏風」。

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関屋から太宰府天満宮まで道が描かれています。
草葺の屋根が続く門前町を人々は楽しく通っていたのでしょう。

明治以降になると名所の写真を用いた絵葉書が作られます。
都府楼跡の写真は今とはずいぶん違いますね。

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※案内板より
ラベル:さいふまいり
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2017年02月03日

太宰府に炭鉱があった?!

T氏に「太宰府に炭鉱があったか、聞いたことがありますか?」
と尋ねられました。
そこでI先生に聞いてみたところ、調べてくださいました。
貸していただいたのは「昭和25年宇美町制要覧」。

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宇美町に7つの鉱業所がありました。
その中に日の丸礦業所とあります。

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従業者48人。代表者安倍摎Y。
差し込まれた地図に日の丸礦業所が記載されています。

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宇美町の南のくびれのところ、
今の地図でいえばニシムラフーズのあたりです。
ここに鉱山の入り口がありました。
太宰府との境界線近くです。
掘り進めばどうなるでしょう?
太宰府側まで来ていたかもしれません。
それがI先生のお考えでした。
昭和25年にはあった日の丸炭鉱。
詳細が分かれば、太宰府にも炭鉱があったと言えるのかもしれません。
posted by Rino(ニックネーム) at 17:07| 福岡 ☀| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする