2017年03月10日

さいふまいり

今年の太宰府検定のテーマ出題は「さいふまいり」。
市役所には「さいふまいり」の案内板があります。

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さいふまいりとは宰府詣り(太宰府参詣)のこと。
平安時代に太宰府参詣をしてたのは官人や文人。
そこに庶民が加わったのは江戸時代以降のこと。
さいふまいりの人々は宰府宿の旅籠や宿坊に泊まって、
太宰府天満宮のほかにも水城跡、都府楼跡、
観世音寺、戒壇院などを巡っていたようです。

案内板にあるのは天保15(1844)年に斎藤秋圃(しゅうほ)の「博多太宰府図屏風」。

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関屋から太宰府天満宮まで道が描かれています。
草葺の屋根が続く門前町を人々は楽しく通っていたのでしょう。

明治以降になると名所の写真を用いた絵葉書が作られます。
都府楼跡の写真は今とはずいぶん違いますね。

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※案内板より
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2017年02月03日

太宰府に炭鉱があった?!

T氏に「太宰府に炭鉱があったか、聞いたことがありますか?」
と尋ねられました。
そこでI先生に聞いてみたところ、調べてくださいました。
貸していただいたのは「昭和25年宇美町制要覧」。

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宇美町に7つの鉱業所がありました。
その中に日の丸礦業所とあります。

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従業者48人。代表者安倍摎Y。
差し込まれた地図に日の丸礦業所が記載されています。

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宇美町の南のくびれのところ、
今の地図でいえばニシムラフーズのあたりです。
ここに鉱山の入り口がありました。
太宰府との境界線近くです。
掘り進めばどうなるでしょう?
太宰府側まで来ていたかもしれません。
それがI先生のお考えでした。
昭和25年にはあった日の丸炭鉱。
詳細が分かれば、太宰府にも炭鉱があったと言えるのかもしれません。
posted by 理乃(ニックネーム) at 17:07| 福岡 ☀| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月30日

JR都府楼南駅近くの風景

太宰府にもこんな風景が残っています。
年末のお買い物はどこもここも混んでいて、
これも抜け道の一つ。
離合できないから、ほとんど利用しないけど。
落ち着く風景です。

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2016年12月23日

井上哲次郎生誕碑

安政2年(1855)に横町(現五条)で生まれた井上哲次郎。
9歳から13歳までは同じ町内の中村徳山の都成塾で学びました。
明治維新後は博多や長崎で英語を学び、
東大に入学し、フェノロサの元で哲学を修めました。
明治15年には東京大学助教授に就任、その後ドイツに入学。
帰国後は帝国大学で日本人で初めて哲学の教授となりました。
東洋の研究と西洋哲学の紹介、
国民道徳や国民教育の普及に尽くしたということです。
この生誕の碑は西正寺の近くにあります。

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2016年12月21日

血方持(ちけもち)観音

五条の交差点からどんかん道に入り、
少し進むと左手の榎の下に祀られているのが血方持観音。

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近所の人は血方持さまと呼んでいます。
醍醐天皇(885年〜930年)のころ、
宮成某という人の妻は婦人病で苦しんでいました。
醍醐天皇といえば道真公を左遷した人。
そして道真公はその病気を治したといいます。
その後、妻は亡くなり、墓所に石仏を祀っていましたが、
いつしか婦人病に霊験あらたかという噂が広がり、
病気に悩む女性たちがお参りするようになったといいます。
posted by 理乃(ニックネーム) at 22:18| 福岡 ☁| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月18日

中村徳山の碑

中村徳山は江戸時代に五条横町に生まれた漢学者。
幕末、自宅に近隣の子弟を集め、
手習い、論語などの漢学や詩作を教える
都成(とせい)塾を始めました。
同じ横町生まれの井上哲次郎も9歳から13歳まで
都成塾で学びました。
井上哲次郎はドイツに3年間留学し、
帰国後、東京帝国大学哲学科初の日本人教授となっています。

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2015年10月05日

玄清法印の墓

太宰府にある玄清法印の墓を調べていてCDをいただきました。

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玄清法印は天平神護2年(766年)宝満宮の神官であった
橘左近尉光政の子として太宰府に生まれたそうです。
17才で失明して盲僧となり、
琵琶を弾いて奇跡を行い人々を苦しみから救いました。
最澄が比叡山延暦寺を建てるとき毒蛇に困り、
玄清法印に毒蛇退治を依頼。
法印が琵琶を弾いて経を唱えると、
たくさんいた毒蛇は退散したとのこと。
玄清法印が太宰府に戻ると天然痘が流行中でした。
またしても法印は四王寺山に登って
経を唱え琵琶を弾き天然痘の流行を鎮めたとのこと。
玄清法印は延暦8年(789年)に坂本に草庵を開き成就院と名づけました。
57歳で没した玄清法印の墓は分からず、
天保5年(1834年)年、四王寺山上に碑が建てられました。
その場には玄清法流の盲僧が集まり三日三晩琵琶を弾き続けたそう。
その後、明治34年(1901年)に坂本で玄清の塔婆と成就院の跡が発見され、
昭和43年(1968年)に建てられたのが、今、坂本にある墓。
このお墓をお世話をしているのが、
明治40年に高宮に移った成就院の檀家の方々なのです。
今も一月に一度来られているそう。
ビッグニュースは平成28年から10年かけて
50億円の浄財を投じて根本中堂の平成特別大改修が行われること。
その大改修にあわせて1200年前の創建の際、
地鎮法要を行った2つの伝統法流の一つ、
玄清法流も地鎮法要を行うということなんです。
1200年の時を超えて。。。

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※参考:西都太宰府サイト
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2015年09月28日

太宰府歴史スポーツ公園

先日、初めて中を歩いてみた太宰府歴史スポーツ公園。
以前、平日に駐車場まで行ったときは閑散としていたように思ったのですが、
休日、この公園は子どもたちがソフトボールやテニスをし、
池の周囲はウォーキングやジョギングをする人々がいて、
活用されているんだなと思いました。
弓道場や相撲場まであります。
この公園はスポーツ公園でありながら太宰府らしさを打ち出しています。
プロムナードの奥の時計塔がこの「万葉の時計塔」。

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太宰府の時計塔の中でも一番立派なものかも。
重厚なこの形。どこかで見たような。。。
そうです。観世音寺の日本一古い梵鐘をモチーフにしているんです。
下帯の唐草文のデザインなど、本物とは似ているものの異なっていますが。
朝夕に鐘が鳴るそうですが、その音は観世音寺の鐘の音を録音したものだそう。
7世紀に作られた観世音寺の梵鐘は美術品としても一級品。
古代の人々の美意識の高さにはいつも感嘆します。
観世音寺に行ったら、ゆっくりと梵鐘の美しさも堪能したいもの。
だって重要な国宝が屋外に、誰でも自由に近づけるところにあるのですから。
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2015年09月19日

太宰府西中学校

太宰府市に中学校は4校。
そのうちの一つがここ、太宰府西中学校。
本日、集団検診があったところですね。

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昭和60年開校。
樟がシンボルツリーです。
posted by 理乃(ニックネーム) at 21:04| 福岡 ☁| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月11日

島本遺跡

太宰府を歩いているわたしは
思わぬところで思わぬ方との出会いを続けています。
これは先日、あることでお会いした方が
連れて行ってくださった島本遺跡。

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古代、鴻臚館から大宰府へまっすぐ延びていた官道の跡。
といっても、もやは何も残ってないのですが。。。
ただここで発掘されたという説明書きがあるだけ。
それでも建物の向きは、古代官道の線と同じ方向。
遠い奈良時代、
この道を外国使節や遣唐使が行き交っていたことを想像すると、
やっぱり楽しくなります。

※所在地:太宰府市吉松
タグ:島本遺跡
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2015年09月07日

吉松の宝満宮

扉も窓もつけず、
外の自然と一体化した神社建築。
ツクツクボウシが「ツクツクツクホーシ」と鳴いていた
今日の午後。。。

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posted by 理乃(ニックネーム) at 20:38| 福岡 ☁| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月04日

【太宰府の情景】大佐野橋あたり

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太宰府の情景の一枚。

JRが通るこのあたり、
今、車は通古賀と大佐野を結ぶ県道はJRの下に作られた道を通ります。
この下に掘られた道がなかったころは
よく渋滞していました。
今、県道を車はびゅんびゅん飛ばして通りすぎていくけれど、
その上の風景はまだ変わらず、こんなに長閑です。
posted by 理乃(ニックネーム) at 12:36| 福岡 🌁| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月23日

十三仏

ここはかなり行きにくいコアなスポットの1つでしょう。
今でも、そこが私有地だったのか、そうじゃなかったのかよく分からない。
「十三仏」。

地域の方がよく守られていて、一つひとつにお茶が上げられていました。
十三仏とは冥界の審理に関わる13の仏。
冥途の裁判官たちが一列に並んで祀られています。
近年まで千人参りの人々が訪れていたそう。
また、昔は代人さんという祈祷師がいて祈祷が行われていたといいます。

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◆十三仏
坂本1丁目 洗出交差点近く
posted by 理乃(ニックネーム) at 20:23| 福岡 ☁| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月21日

コアな太宰府シリーズ 「北谷ダム」

太宰府にもダムがあります。

北谷にある北谷ダムは県営のダム。
平成11年(1999)11月の完成。
ダムの水は灌漑用水補給、既得用水の安定化、河川環境の保全などに利用されています。

とてもさみしい場所にあるので、
女性が一人で行くのはやめたほうがいいでしょう。

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北谷運動公園を目指して行けば、看板が出ています。

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それではダムの上を渡ってみましょう。

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ダムの下はこうなっています。

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ダム周囲の道に車を走らせると。
巨大な石の重なりが目に入りました。

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山の神です。
ダムの下流に祀られてきたのですが、ダム建設(昭和63年度着工)時に、
この場所に移されたとのこと。

太宰府でも訪れる人が少ない場所でしょう。
posted by 理乃(ニックネーム) at 21:44| 福岡 ☔| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月08日

コアな太宰府〜朱雀の「菅原神社」

誰も行かないコアな太宰府情報です(笑)

1月28日、紅姫供養塔を探して回っていた見ず知らずのわたしを案内してくださり、
ついでに高橋紹運の首塚、
さらにここまで連れてきてくださった方々がいました。

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この木の感じ、ドイツロマン派の絵画みたいでいいなあ。。。
でね、ここにあるのは結局この祠だけなんです。

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ここは菅原道真を祀る神社。
移転してきてここにあるようで、文化財として重要なのは祠の後ろにある
本殿跡台座のようです。

[ここに地図が表示されます]
posted by 理乃(ニックネーム) at 11:41| 福岡 ☁| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月17日

太宰府:大人の社会科見学レポート「油機(YUKI)エンジニアリング」

太宰府って何の町?って聞かれると、
歴史の町、史跡の町、観光の町、太宰府天満宮の町、
福岡市のベッドタウン、などという答えが返ってくるかもしれません。
かつてあった田園は宅地に様変わりし、
ほかの特徴はというと、なかなか思いつきません。
工業はどうなのでしょう?

九州自動車道と平行するように古賀から太宰府へ走る県道35号線。
県道35号線は物流の道。大型トラックがたくさん通ります。
そして道沿いに工業関係の建物が目立ちます。

太宰府の北の端に猫石工業団地というのがあります。
ここには多くの工業関係の会社があるのです。
工業団地にはなかなか行けないもの。
今日はご縁がありまして、
この猫石工業団地にある「油機エンジニアリング」という会社を見学させていただきました。
10年ほど前に大野城市からここに移転してきた会社です。

猫石って言葉を聞いたときから行ってみたかった場所です。
このあたりが猫石と呼ばれるわけは、
宝満山の山裾で大きな転石が多く、
遠くから見たら猫の背中のように見えていたので猫石と言ったそうなのです。

さあ、トラックが通りすぎる県道35号線を太宰府方面から向かうと
宇美町との境界のあたりに猫石工業団地の看板が見えてきました。
右折して工業団地に入っていきます。
ほんとにいろんな未知の工場などがあります。。。

この道は宇美町と太宰府市の境界となっていて、北側は宇美町、
南側が太宰府市です。
「油機エンジニアリング」はぎりぎり太宰府市側にあります。

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到着。
何か大きな重機が見えます。
さて、そもそも「油機エンジニアリング」とはどんな会社なのでしょう?

ビルなどの解体に使われる解体機のレンタルと修理を行っている会社です。

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巨大な重機。
建物の解体現場で見たことがありますよね。
このパワーショベルの先端にいろんな機械を取り付けて解体します。
掘ったり、掴んだり、砕いたり、切ったり、
その都度、いろんなアタッチメントを使い分けます。
使用すれば当然アタッチメントは傷つき、摩耗します。
そこで修理をするのです。

アタッチメントも巨大。
そしてこんなボロボロの姿になって修理を待っています。

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工場ではちょうど青い光の粉を飛ばしながらの溶接作業中でした。

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工場萌えはときめく写真ではないでしょうか(笑)

「油機エンジニアリング」の本社は太宰府市。
ほかに営業所が北九州、大野城市、鹿児島にあり、
東京にも事務所があります。
海外から従業員を雇うなどグローバル化も目指しています。

さて、建物の解体という仕事の関係で
古民家の解体に出会った「油機エンジニアリング」は
再生可能な梁や扉などを引き取り
「古材の森」という部門を設けました。
2005年に出会ったのが糸島市の古民家。
そのあまりの貴重さに解体するに忍びなく、
修復保存を行った上、ランチも出す地域の文化拠点「古材の森」として運営することにしました。
こういう取り組みが評価され2011年、メセナアワード「解体新生賞」を受賞。

企業として地域と交流する「油機エンジニアリング」は太宰府市でも活動を開始。
今年7月には太宰府館を借りてコンサートを実施。
来年も同じ太宰府館を借りてイベントを企画したいということ。
何を仕掛けてくださるのか目が話せない地元太宰府の企業なのです。

※「油機エンジニアリング」の皆様、本日は大変お世話になりました。

◆油機エンジニアリング株式会社
http://www.yukieng.co.jp/
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2014年09月24日

血方持(ちけもち)さま

昨日は太宰府天満宮の神幸式大祭のお下りの儀があったので
どんかん道に行ってみました。

どんかん道で行列を待っているとき
道に血方持(ちけもち)さまのプレートを発見。
ここがそうだったのかぁ。
思わぬとき、思わぬところで史跡に遭遇する太宰府です。

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榎の大樹の下に観音さまが祀られています。

醍醐天皇(897〜930在位)の時代。
宮成(みやなり)某の妻は血の道(婦人病)の病に苦しみました。
それが天神様の信仰によって助けられたとのこと。
その後、妻が亡くなり墓所に石仏を祀りました。
すると婦人病に霊験あらたかという噂が広まり、病に苦しむ女性たちがお参りするようになったのだとか。
posted by 理乃(ニックネーム) at 11:46| 福岡 ☁| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月13日

モアイ・・・?

昨日のお散歩は暑かった。
車だって多かった。
昨日でそうだから、今日の天満宮界隈も混雑していると思われます。

さて、太宰府ではこんなものも見られます。

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モアイ???
でも、なぜここにモアイなのか?
ナゾ。
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2014年08月11日

太宰府探訪 般若寺七重石塔

写真がほしいと思いつつ、今まで果たせなかったところの一つ。
朱雀の般若寺跡。
予想はしてたんです。行きづらいよねって。たぶん。
案の定!
これって、わたしの一人太宰府散策のスポットでも最難関だった。。。
ナビなし、案内人なし、手探りの無謀さはいつも通りですが。。。
でも見つけました。

スタートは榎社ということにして地図を掲載します。
なんとなくしか分からないと思いますが。

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榎社を二等辺三角形の頂点とすると
底辺の左の点が西鉄二日市駅、
右の点が般若寺跡くらいになるでしょうか。
山ってくらいの丘になっておりまして、しかも車は離合が難しい細道。
一方通行、行き止まりのラッシュ。びっしり住宅が詰まったど真ん中にあります。
車を止めるところなんてないので、行くときは徒歩で。

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写真で何度も見た印象的な七重の石塔が目の前に。

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で、いったい般若寺ってなに?
実ははっきり分かっていないようなのです。

このあたりには古代般若寺があったとされます。
その寺域にある花崗岩製の七重塔。
3.35m。
台石には金剛界四方仏の梵字が刻まれています。
鎌倉時代後期の造立と考えられています。



posted by 理乃(ニックネーム) at 14:50| 福岡 ☁| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月17日

水城村軍人墓地

太宰府市は1955年3月1日 、筑紫郡水城村と合併して筑紫郡太宰府町となっている。

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ここは水城村軍人墓地。

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左手の階段は使われないまま草に埋もれている。

右手の坂道を上っていく。

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夏草に蝉しぐれ。

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いきなり開ける。

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誰もいない広場。

右手に大きな碑があった。

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この横に日露戦争、日中戦争、太平洋戦争で亡くなった人々の名前がずらりと記されている。
約300人。
この小さな村からそんなに戦死者が出たのだ。
戦没年と戦没地まで克明に記されている。
ガダルカナル、ビルマ、ニューギニア、アリューシャン列島、硫黄島、
サイパン、ソロモン、レイテ島、インド、ボルネオ、
満州、シベリアの収容所。。。
この小さな村から世界中に戦争に出て亡くなった。
ひどすぎる。
ここに来れば、日本がかつてどこで戦争をして
どれだけの命が失われたのかが分かる。
もう十分だ。戦死も戦争も。
苦しすぎる。この名簿を見るのは。。。

慰霊碑の奥へ、まだ道は続く。

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四王寺山が見える。

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戦争のない街。
爆弾が飛んでこない街がここにある。
今はまだ。
posted by 理乃(ニックネーム) at 22:50| 福岡 ☁| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする