昨日の「もっと知ろう太宰府講座」で、
最近の発見として印象深かったのは
やはり「嶋評(しまのこおり)戸口変動記録木簡)」でした。
この木簡が国分松本遺跡で発見されたのは2012年のこと。
人名や身分などを7世紀末に記録した日本最古の木簡でした。
律令国家体制が整う大宝律令の施行に先駆けて
戸籍制度が完成していたことを示す貴重な発見でした。
昨日のお話では発見されて水に浸けられているとき、
その文字がきれいだったことに驚かれたということでした。
表と裏に文字があり、
もともと折られたところは字が欠けています。
川に流された木簡は粘土状のところに残り、
表は水が流れていくので字がかすれ失われていますが、
裏は粘土に密着していたことが幸いして、
1300年前のものとはとても思えないほど
字が鮮明に残っていたということでした。
「評」というのは大宝律令以前の地方行政単位
「国・評・里」の一つで郡に相当し、
「嶋評」は現在の福岡県糸島市や福岡市西区に当たります。
最古の戸籍は正倉院に伝わった文書「筑前国嶋郡川辺里戸籍」(702年)でしたが、
それ以前の戸籍は不明でした。
国分の木簡は701年に「評」が「郡」に変更され、
685年に「進大弐」(木簡に記載あり)の冠位使用が始まったていたことから
685〜701年に作成されたものとされています。
木簡には正倉院の戸籍と共通する
「川部里」という里の名がありました。
「建部身麻呂(たけるべのみまろ)」など
16人の名前や「兵士」や「丁女」(成年女性)などの
身分や性別、「老女之子」などの続柄も記載。
1年間の人の異動を記録した帳簿とみられ、
筆跡から同一人物が書いた可能性もあるということ。
正倉院文書には「川部里」の奴婢37人を含む
戸口124人を擁する大領肥君猪手の戸が記載されていて、
国分の木簡には正倉院の戸籍のわずか数年前の隣人が
記載されていたことになるというお話でした。
「川部里」があったという地は以前、
歴史探訪で訪れました。
糸島半島の中央にある六所神社のあたりです。
奴婢もいた川部里の里。
当時の人はどんな暮らしをしていたのか。
あまりに古いこのタイムカプセルに心動かされるばかりです。

六所神社(糸島市)

*日経新聞HP参考
posted by Rino(ニックネーム) at 13:21| 福岡 ☔|
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●太宰府市内そのほか
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