昨日、仲間たちと横岳崇福寺跡を巡りました。
現在の開発された住宅地一面に広がっていた中世の伽藍。
わずかな痕跡を手がかりに歩きます。
崇福寺と言えば黒田家の菩提寺として博多に鎮座していますが、
もともとは太宰府にあったものを移したものです。
市役所近く、JA筑紫太宰府中央支店の左手の道、
横岳通りを進んで行った突き当りから寺域が始まります。
横岳崇福寺とはどんな寺だったかというと、
創建(1240年)は湛慧(たんえ)。
翌年聖一国師(円爾弁円えんじべんねん)が開堂式を行い、
1272年に大応国師(南浦紹明)が開山しました。
その後大応国師滞在の33年の間に
伽藍が整備されたと考えられています。
さて、横岳崇福寺跡巡りは
横岳通りを進んでいった左手にある旭地蔵尊から始まります。

旭地蔵尊は横岳崇福寺を創建した湛慧のお墓と伝えられています。
湛慧は鬼すべの鬼にされ、
人前でひどい目に遭い心を痛め朝日山東の麓に横穴を掘り、
その中で経を唱えました。
鐘の音が聞こえていましたが、
ある日、座ったまま大往生したということ。
土地の人々はこの湛慧をここに葬り石塔を建てて供養しました。

お百度参りの石

横岳口道標
さらに先を進みます。
posted by Rino(ニックネーム) at 12:56| 福岡 ☁|
Comment(0)
|
★アッシュ会
|

|