2022年05月07日

2022.4.5御所ケ谷神籠石探訪L清祀殿

神間歩からほど近いところにある清祀殿。

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939年、古宮八幡宮が宇佐神宮に神鏡を奉納したという記録が残っています。
その神鏡を鋳造した場所と考えられているのがここ。
土間の中央に鍛冶床があったそう。
清祀殿の後ろに花崗岩の石柱が残されており、
この石柱に完成した神鏡を安置したと言われています。

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2020年08月06日

2020.7.30横岳崇福寺跡巡りF大応国師無縫塔

7月の終わりの横武崇福寺跡巡りのラストです。
行路を通り、階段を上ると崇福寺別院(昭和48年以降に再建)に出ます。
山門右手に道があるので上っていきます。

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本堂は塀越しに見ることができます。

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道を挟んで反対側にあるのが大応国師の無縫塔(分骨塔)。

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大応国師は崇福寺に30年以上滞在し、
寺を大きくした人物です。

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南へ下り、白川公民館の前の道を通って戻ることにします。
白川公民館の前の道を流れているのが白川。

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小さな川ですが、勢いよく水音を立てて流れていました。
道なりに進むと御笠川に出ますが、
ここで白川の水は御笠川に合流します。
残されたわずかな手がかりから
鎌倉時代の横岳崇福寺を想像するコアな太宰府巡りでした。
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2020年08月05日

2020.7.30横岳崇福寺跡巡りE行路

毘盧庵跡から住宅街を抜けて元の横岳八幡宮に戻ります。

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横岳八幡宮

途中にある駐車場にはかつて白蓮池という池があったようです。
瑞雲寺を正面に見て、右手の細い道を進みます。
だんだん鬱蒼としてきます。
ここが横岳山諸伽藍圖に描かれている行路のようです。

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行路

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横岳山諸伽藍圖

突き当たると、左に階段があるので上がります。
崇福寺別院の山門に行き当たりますが、
一般には閉ざされていて、入ることはできません。

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崇福寺別院

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2020年08月04日

横岳崇福寺跡巡りD毘盧庵跡

法堂跡から東観世公民館へ回り、
長松嶺の位置を確認したら、
観世音寺6丁目1の区画まで東に進みます。
丸石で囲われた一段高いところがあります。
そこが毘盧庵跡。

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横岳山諸伽藍圖では毘盧庵は長松嶺の麓にあるので、
場所を移されたもののようです。

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背の高い石碑が目立つのですぐ分かります。
石碑の表面には
「勅諡普済大聖禅師塔所 崇福寺毘盧庵跡」と刻まれています。
普済大聖禅師とは鎌倉〜南北朝時代に活躍した
筑前生まれの僧、可翁宗然(かおうそうねん)の諡号。
可翁宗然は元に渡り、帰国後崇福寺にやってきました。
のちに南禅寺に移り、
晩年は東山に天潤庵を建てて隠棲しました。

ラベル:毘盧庵跡
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2020年08月03日

横岳崇福寺跡巡りC長松嶺

法堂跡の案内板を見ると、
右下に1967年の調査風景の写真があります。

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昭和42年、東観世団地造成にあたり、
九大の建築学講座が中心となって調査を行ったとあります。
写真は東側から撮影されたもの。
礎石が写っています。
奥にはかつて寺の名勝と呼ばれた長松嶺(ちょうしょうれい)が見えます。
嶺の上まで続く階段もあるようです。
長松嶺は今の東観世公民館の背後の山のようです。

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太宰府横岳諸伽藍圖左に長松嶺と詠めます。

*写真は案内板より
(つづく)
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2020年08月02日

横岳崇福寺跡巡りB法堂跡・真額山・丸山

階段を上って北に進むと、
すぐ法堂(はっとう)跡があります。

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法堂は礎石建ての中心建物でした。
地図を見ると、法堂の上には庫裡と方丈があったようですが、
今は駐車場と住宅地となっています。

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地図には背後の山は真額山(地元では「まぶてやま」ともいう)、
右手は丸山と描かれています。
写真に写る山がそうです。
右手の山は丸くこんもりとしていて、名前の由来が分かります。
この場所を中心して左右に塔頭などが建ち並んでいたわけですが、
それは残されていません。
天正14(1586)年の岩屋城の戦いで全山焼失し、
その後崇福寺は黒田家の菩提寺として博多へ移され、
さらに高度経済成長期に宅地化されたためです。
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2020年08月01日

横岳崇福寺跡巡りA山門への森の道

横岳通りを進んでいくと、
突き当りに横岳八幡宮があります。
その右手に瑞雲寺(崇福寺の塔頭)の山門がありますが、
閉じられていて入ることはできません。

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以前、拙著「麗し太宰府」の取材の際、
偶然ご住職が外出から帰って来られて、
中をご案内いただき、
そのとき撮影した室町時代のものとされる庭園の遺構をご紹介しておきます。

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瑞雲寺山門を内側から眺めたところ

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瑞雲寺の室町時代のものとされる庭園遺構

さて、瑞雲寺の山門と横岳八幡宮裏手の間に道があるので、
ここから森に沿って歩きます。

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横岳諸伽藍圖を見ていただくと、
このあたりが横岳崇福寺の入り口であると思われます。

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暑かった陽射しも森の緑に遮られ、涼しい風が吹いてきます。

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小道を行き着くと、急な階段があり、
上ると住宅地(昭和40年代に開発された東観世団地)が開けます。
このあたりに山門、仏殿があったと思われます。
ラベル:瑞雲寺
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2020年07月31日

横岳崇福寺跡巡り@旭地蔵尊

昨日、仲間たちと横岳崇福寺跡を巡りました。
現在の開発された住宅地一面に広がっていた中世の伽藍。
わずかな痕跡を手がかりに歩きます。
崇福寺と言えば黒田家の菩提寺として博多に鎮座していますが、
もともとは太宰府にあったものを移したものです。

市役所近く、JA筑紫太宰府中央支店の左手の道、
横岳通りを進んで行った突き当りから寺域が始まります。
横岳崇福寺とはどんな寺だったかというと、
創建(1240年)は湛慧(たんえ)。
翌年聖一国師(円爾弁円えんじべんねん)が開堂式を行い、
1272年に大応国師(南浦紹明)が開山しました。
その後大応国師滞在の33年の間に
伽藍が整備されたと考えられています。

さて、横岳崇福寺跡巡りは
横岳通りを進んでいった左手にある旭地蔵尊から始まります。

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旭地蔵尊は横岳崇福寺を創建した湛慧のお墓と伝えられています。
湛慧は鬼すべの鬼にされ、
人前でひどい目に遭い心を痛め朝日山東の麓に横穴を掘り、
その中で経を唱えました。
鐘の音が聞こえていましたが、
ある日、座ったまま大往生したということ。
土地の人々はこの湛慧をここに葬り石塔を建てて供養しました。

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お百度参りの石

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横岳口道標

さらに先を進みます。
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2020年05月25日

釈迦堂

【四王寺山釈迦堂】
文化ふれあい館の奥に尺上池という池があり、
その左手から四王寺山に通じる道があります。

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20分ほど山道を登ると、かつての釈迦堂跡に出ます。

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釈迦堂からさらに100メートル登ったところに大谷の滝があり、
お籠り所があったそうですが、
そこまでは行き着けませんでした。
そのお籠り所の拠点となっていたのが釈迦堂です。

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建てられたのは昭和45年とのこと。
今では表札も落ち、
その前にあった白衣観音像も壊れて横たわっていました。

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釈迦堂跡後方には千体仏諸願成就堂があり、
堂内の壁、天井にはびっしりと絵馬のような板に祈願を書いたものが貼り付けられていました。

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日田や北野町のものもあり、
遠くから祈願に来られていたことが偲ばれます。

*「かつてあった四王寺山のお滝場」参照
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2020年05月17日

戌の薬師(インノヤクシ)

坂本八幡宮の奥にある坂本の集落の先にある
「戌の薬師」(太宰府市大字坂本字善正寺)。

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高さ74cmほどの石の前面に薬師像が彫られています。

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今は薄くなってよく分かりませんが。
石の上には水を湛えた窪みがあります。

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この水で目を洗うと眼病が良くなるという言い伝えがあります。
この水はどこから来ているのか、
周囲を見てみましたが分かりませんでした。

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「戌の薬師」が眺められる高台の景色は素晴らしいものです。
*太宰府市HP参照
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2020年05月16日

大行事碑(大字国分字辻)

国分字辻の大行事碑。
文化元年(1804)に建立されています。

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四王寺山登山道の脇にあります。

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大行事は牛馬、農業の神様。

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毎年9月16日には国分天満宮の氏子の方々がお祀りをされています。
かつては牛馬を引き連れてお参りし、
御供えしたオゴク(御飯)を牛馬にいただかせる習わしがあったそう。
太宰府市内には9ヶ所大行事塔がありますが、
地元の恒例行事として継続されているのは、
この国分地区のみということです。

*冊子「国分・水城地区の文化遺産」・太宰府HP参照
ラベル:大行事碑 大行事
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2020年05月15日

クルマミチの引陣(ひきじ)地蔵尊

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四王寺山の大字国分にあるクルマミチ
(車道ではありません:万葉の小道から入ります)を
分け入ったところにある引陣地蔵尊。

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天正14年(1586)、四王寺山の岩屋城では
九州制覇を目指す薩摩の島津氏が
大友氏の家臣・高橋紹運が籠る岩屋城を落とした合戦があり、
多くの戦死者が出ました。
その戦いは苛烈な激戦でした。
ここはその戦死者を弔うために地元の人々が祀ったところ。

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引陣(ひきじ)という地名は、島津氏の軍勢が
ここを通って引き上げたことに由来します。
現在の地蔵堂は昭和14年に建立されたもので、
その後手が加えられているとのこと。

*「国分・水城地区の文化遺産」参照
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2020年05月14日

万葉の小道の「やんぶの墓」

大好きな万葉の小道。
その途中に「やんぶの墓」はあります。

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やんぶとは山伏のこと。
かつて山伏が石室の中で修行をしましたが、
満願成就できないうちに亡くなりました。
そこで住民が石室の上を塚にしたと言われています。

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2020年05月02日

真龍雲寺 水瓶一之瀧

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四王寺山にある真龍雲寺。

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ここにもお滝場があります。

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滝の名前は水瓶一之瀧(みずがめいちのたき)。

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水瓶山の下方にあたります。
渡唐のために大宰府に滞在していた最澄も
雨乞いの祈祷でこの滝にあたっていたという伝説があります。
お滝場が作られたのは明治初期のこと。
真龍雲寺の創建も明治時代。
元々あったお堂は昭和51年に火災で消失。
お寺にあった如意輪観音座菩薩のお顔が剥落したため、
新しい如意輪観音菩座薩と一緒に、
四王寺山三十三観音一番札所に祀られています。
お滝場の雰囲気を今に色濃く残す、貴重な場所です。

*「かつてあった四王寺山のお滝場」(四王寺山勉強会)参照
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2020年05月01日

大願寺 薬水の滝

四王寺林道の「ルートイングランティア太宰府」の先に大願寺というお寺があります。
ここにはかつてお滝場がありました。

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現住職のお母様が昭和30年ごろ、女性救済のために作られたそうです。
寺の入り口に信者さんたちが建てた「洗心道場」の石碑があります。
「いにしえの おもかげしのぶ ふじのみず ながれはまるき 薬水の瀧」

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薬水の滝というのは滝に流れる水を薬水として
病を治すという意味が込められていたとか。
お母様が亡くなられたのち、約50年のお滝場の歴史に幕が閉じられ、
お祀りされていた不動明王ななどの石造物は
下流に集められています。

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平成5年に、現住職が大願寺を開山。
お母様が亡くなられるまでの10年余りは
お寺と滝場が共存していたそうです。
滝は本堂の左手に見られます。
4月の末、白い藤が高貴な香りを放ちます。

*「かつてあった四王寺山のお滝場」(四王寺山勉強会)参照

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2020年04月30日

観世音寺子院跡(推定金光寺跡)

中世の観世音寺には戒壇院を初め、
四十九の子院(本寺に属する僧侶などが居住した寺)があったといいます。
そのうちの一つが金光寺。

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金光寺は観世音寺の北、四王寺山の南麓の座禅谷にあります。
昭和 28年(1953)に九州大学、昭和53、55、56、62年には
九州歴史資料館によって発掘調査がなされ、
中世寺院跡と思われる礎石建物、火葬墓群のほか、
陶磁器、漆器、木製品など、数多くの遺物が出土しています。

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建物配置や出土遺物の内容から、
武家居館の可能性も指摘されていて、遺跡名称は「推定金光寺跡」となっています。
また、金光寺の一ヶ寺だけでは広すぎるため、
座禅寺など、ほかの子院も含まれるという説もあります。
調査では礎石建物6棟を検出。
北西には苑池遺構も見つかっています。

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これらの建物は13 世紀後半から16世紀前半にかけて、
幾度かの変遷を 繰り返して存続したようです。
礎石建物群の西側背後では火葬場や
土坑墓石塔が立ち並ぶ墓所も見つかったということです。

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火葬場跡あたりにたつ東屋

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五輪塔は模造

*九歴解説シート参照
posted by Rino(ニックネーム) at 22:32| 福岡 | Comment(0) | ★アッシュ会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする