2023年01月25日

2022.12.10通古賀J檜垣嫗

通古賀のラストです。
鷺田川にかかる多々良橋のたもとにある案内板に
檜垣嫗(ひがきのおうな)のことが書かれています。

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平安時代、この近くに優雅で評判の女性が住んでいました。
あるとき大宰大弐(だいに)の藤原興範(おきのり)が通りかかり、
水をもらおうと立ち寄ると、
嫗は「年ふれば わが黒髪も白河の みづはくむまで 老いにけるかな」
(年が経て、わたしの黒髪は白くなり、白川の水を汲むまで老いてしまった)
と詠んだといいます。
なお、白川の場所については諸説あります。

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ラベル:通古賀 檜垣嫗
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2023年01月24日

2022.12.10通古賀J旧鷺田橋親柱

鷺田橋は昭和7(1932)年に竣工しました。

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新しい橋が架け変えられるまで86年間、
その役目を果たしていました。
昭和の初めは二日市まで遮るものがない風景が広がっていました。

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ずっしりした昭和の親柱は今、
新しい橋の近くに置かれています。
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2023年01月22日

2022.12.10通古賀I市ノ上橋

通古賀にはかつて小字「市ノ上(いちのうえ)」がありました。
このあたりに大宰府が栄えていたとき、
野菜などを商う市が立ったといい西市とも言われていました。
橋の名前として残されていました。

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都府楼団地郵便局前ですが、
今も近くに明治屋ジャンボ市があります。

*「とおのこが風土記」参考
ラベル:通古賀 市ノ上橋
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2023年01月21日

2022.12.10通古賀H垣添

長沼賢海が筑後国府と推定した通古賀の扇屋敷。
その南側に接しているのが垣添。

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旧小字石標はトヨタカローラ太宰府店の裏手にある
垣添公園内のモチノキの根本にあります。

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扇屋敷の南西に接し、扇屋敷を囲む垣(官薮:竹薮や樹木)に添っていることからといわれます。
また歌人檜垣嫗が住んでいたところともいわれます。

*「とおのこが風土記」参考 
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2023年01月20日

2022.12.10通古賀G西ノ後

筑前国府跡といわれる通古賀。
中心部に扇屋敷、西側に西ノ後(うしろ)、
東側に東ノ後、北側に北ノ橋という旧小字がありました。
こちらは西ノ後。

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通古賀公民館の前に石標があります。

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2022.12.10通古賀F土塁の名残

かつてあった国衙は周りを官薮で囲まれていました。
今は失われた土塁の名残がこの一本の木だということです。

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*右手はガソリンスタンド
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2023年01月19日

2022.12.10通古賀E北ノ橋

筑前国府跡といわれる通古賀。
中心部に扇屋敷。西側に西ノ後(うしろ)、
東側に東ノ後、北側に北ノ橋という旧小字がありました。
こちらは北ノ橋。

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通古賀交差点先の高架の下にあります。
扇屋敷の北の端(はし)であることから名付けられたといいます。

*「とおのこが風土記」参考
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2022.12.10通古賀D日田街道

通古賀を貫く道はかつての日田街道。

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太宰府と二日市をつなぐ道でした。
日田街道に面して飴屋、麩屋、瓦屋、
鍛冶屋などが軒を連ねていたということです。

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2023年01月15日

2022.12.10通古賀Cお薬師様

「通古賀のお薬師様」として祀られきた薬師如来坐像は
筑紫四国八十八ヶ所の札所の一つとして、
お彼岸にはお参りに来られる方が多かったそうです。

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とてもきれいな状態で保存されていました。

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*個人宅にあるのでふだんは見ることができません。
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2023年01月14日

2022.12.10通古賀B王城神社

王城神社(おうぎじんじゃ)は、
事代主命(ことしろぬしのみこと)(恵比寿神)をお祭りする太宰府市通古賀の氏神様。

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創始は神武天皇が四王寺山に城を築いた際、
その峰に武甕槌命(たけみかづちのみこと)と
事代主命をまつったことに由来するとされています。

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その後天智天皇4年(665年)に大野城が築かれる際に、
現在の通古賀の地に移されたと伝えられています。
『王城神社縁起』(太宰府天満宮蔵)には
菅原道真公が大宰府に流された折りに、
王城神社の社人が府の南館にたびたび訪れたと書かれています。
戦国時代の争乱で社殿は焼け落ち衰退していましたが、
小早川隆景により再建されました。

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長沼賢海はこの礎石は国府の遺跡としています。

*西都太宰府HP参考
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2022.12.10通古賀A扇屋敷

扇屋敷の石標は王城(=大城、扇)神社の入り口にあります。

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長沼は扇屋敷が国衙のあったところと推定しています。
明治20年の地籍図によると扇屋敷の西側には土塁の名残とみられるヤブがあったといいます。
国衙は土塁に取り囲まれていたものと想定されていました。
最近まで残っていた土塁は今では見ることができなくなっています。
扇屋敷はまた長者屋敷があったところともいわれています。
*「とおのこが風土記」参考
posted by Rino(ニックネーム) at 01:10| 福岡 ☁| Comment(0) | ●通古賀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月12日

2022.12.10通古賀@東ノ後(うしろ)

【2022.12.10通古賀@東ノ後(うしろ)】
大宰府政庁の存在が大きすぎるため、
筑前国衙がどこにあったのかは定かではありません。
鏡山猛説では軍団印の出土地の国分。
そして長沼賢海説では残された地名から通古賀です。
太宰府市史では長沼説が紹介されています。
その手がかりは小字名。
中心部が扇屋敷。西側に西ノ後、東側に東ノ後、北側に北ノ橋、南側に垣添があります。
初めに訪ねたのは東ノ後(うしろ)の石標。
榎社に沿う西鉄電車線路を北に進むとありました。
国府推定地、扇屋敷の東側に接し、
西ノ後とともに、かつては真竹を中心とした築地を築いた官薮(かんそう)で囲まれていました。

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*「とおのこが風土記」参考
ラベル:東ノ後
posted by Rino(ニックネーム) at 15:13| 福岡 ☁| Comment(0) | ●通古賀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする