2023年09月23日

2023.9.22 天拝山山頂の迎え火

9月21日から25日まで
太宰府天満宮で斎行される「神幸式大祭」。
太宰府天満宮の最も大切なお祭りです。
平安時代の1101年に大宰権帥大江匡房が始めました。
秋分の日の前日の9月22日は「お下りの儀」。
「滅灯(めっとう)」という声とともに灯りが消され、
天満宮御本殿の道真公の御神霊は
宮司によって御神輿に遷され、
多くのお供を引き連れて
道真公がかつて過ごした榎社まで厳かに進みます。
それに合わせて筑紫野市の大門地区の方々が
天拝山山頂で「迎へ火」を焚かれます。

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貝原益軒も迎え火のことを書いているそうです。
一度行ってみたいとかねてより思っていたところ
チャンスが訪れました。
夜の天拝山登山となりましたが、なんとか登頂。
そこには絶景の夜景が・・・。

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やがて火が焚かれ、暖かい炎が夜空に燃え上がり、
火の粉が山頂に舞うのでした。

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2022年08月30日

2022.8.30アジア代表日本2022ワークショップ@太宰府天満宮

太宰府天満宮で開催中の「アジア代表日本2022ワークショップ」に参加してきました。

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今年はアジアの国々をテーマ・イメージしたCUP(器)=「想いが宿るモノ」を
太宰府の粘土と天草の磁器土で制作するというもの。

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左が天草の磁器土。右が太宰府の粘土

作品は、後日野焼きした後、九州国立博物館と
東京藝術大学国際交流会館の外壁パブリックアートとしての展示を予定。
毎日違う国が割り当てられていて、今日はキルギスでした。

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須恵器にキルギスの伝統的なオイモという文様を飾りつけたものを作ろうと、
まずイメージをデッサン。
作りたいものと作れるものには大きな隔たりがあり、
結局こういうものしか作れませんでした(笑)。

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須恵器の職人たちの技はすごいと改めて思った次第です。

*ワークショップ
開催日:令和4年 8月20日(土)〜9月4日(日)
開催時間:10:00〜16:00
場所:太宰府天満宮 旧東屋(九州国立博物館エスカレーター前広場そば)
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2021年06月04日

太宰府天満宮本殿背後の摂社E御子社 淳茂命(あつしげのみこと)

太宰府天満宮本殿背後の摂社、御子社のラストは一番右の淳茂命。

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道真公が左遷されると長男高視卿は土佐へ、
次男(?)の景行公は駿河へ、三男(?)兼兼茂卿は飛騨国へ、
そして五男(?)淳茂卿は播磨へと流されました。
のちに関東へ下向し、相模国鎌倉郡永谷郷(現横浜市)に居館を構えたといいます。
淳茂卿もまた父譲りの秀才だったようです。
新編相模国風土記稿によれば道真公が自ら刻んだ像は淳茂公に与えられ、
居館に道真像を奉祀したといわれています。
1493年に道真像が永谷郷領主の上杉乗国の夢に現れ、
恐れた乗国が社殿を造営して道真像をご神体として安置したのが
永谷天満宮の始まりとされるそうです。

*Wikipedia参照

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2021年06月01日

太宰府天満宮の花菖蒲と紫陽花

太宰府天満宮の花菖蒲と紫陽花も見頃を迎えています。

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ラベル:花菖蒲 紫陽花
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太宰府天満宮本殿背後の摂社D御子社 兼茂命

太宰府天満宮本殿背後の摂社は
道真公の恩師島田忠臣公、ご両親是善公と伴氏、
長男高視命、次男景行命ときて、
5番目は三男兼茂命となっています。

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道真公の配流と共に、
息子たちも全国各地にばらばらに配流となっていますが、
文章博士兼茂は飛騨国権掾(ごんのじょう)となって左遷され、
国府近くの花里に謫居されられました。
903年、兼茂は父菅原道真が大宰府で亡くなった知らせを受ると
悲嘆のあまり、
梅の木に道真公の像を刻み、祠を建てました。
923年、兼茂が都に帰ることになったとき、
飛騨の里人に祭祀を継続するように懇請され
都に復帰されました。
これが飛騨天満宮の起こりだということです。

*Wikipedia・岐阜県神社庁HP参照
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2021年05月19日

太宰府天満宮本殿背後の摂社C御子社 景行命(2021.2.24)

高視命の右隣にあるのは景行命(かげゆきのみこと)の摂社です。

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道真公の左遷に伴い、
長男の高視公は土佐に流されました。
次男(三男?)の景行公は駿河権介に格下げされ駿河の国に流されました。
景行公は身体が弱く、
やっとの思いで駿府の地に着いたときには、
もう生きる気力もないほどだったと伝えられています。
その後、許されて常陸介として常陸に赴任。
静岡天満宮には景行公の霊を慰めようと、
平成元年、景行公の神祠が寄進されています。
また茨城県常総市大生郷天満宮(おおのごうてんまんぐう)の社伝には、
景行公が大宰府を訪れた時、
道真公自ら自分の姿を描き与え、
「われ死なば骨を背負うて諸国を遍歴せよ。
自ら重うして動かざるあらば、
地の勝景我意を得たるを知り、即ち墓を築くべし」と言われたとあります。
景行公は遺言どおり遺骨を奉持し、
家臣と共に20年以上諸国を巡り、
常陸介として常陸国に赴任してきた926年に
羽鳥(はとり)に塚を築き、一旦お祀りしましたが、
929年に飯沼湖畔に浮かぶ島を奥都城として社殿を建て、
羽鳥から遺骨を遷してお祀りしたのが大生郷天満宮とされています。
そのため御廟天神ともいわれています。
道真公の墓所とされるのは太宰府天満宮のほかにもあったのですね。
*静岡天満宮HP/大生郷天満宮HP参照
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2021年05月16日

太宰府天満宮本殿背後の摂社B御子社 高視命(2021.2.24)

老松社の右には御子社が四社並んでいます。
一番目は高視命(たかみのみこと)。

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高視は道真公の長男。
母は宣来子です。
893年に文章得業生となっています。
道真公が大宰府に左遷されると、
連座して土佐介に流されました。
5年後に帰京して大学頭に復しますが、38歳で病没。
高知の潮江天満宮は高視が道真公死去の知らせを受け
創建したと伝わり、
住居跡のある山は高見山と呼ばれています。
潮江天満宮HPによると、
高視に道真公の薨去の知らせをもたらしたのは侍臣白太夫といいます。
白太夫は遺品を手にして高視に伝えるため土佐に向かいましたが、
老齢と難路に苦しんで健康を害し、
霊松山雲門寺にたどりつくも、
905年に79歳でなくなりました。
高視が白太夫の没後遺品をおさめて祀ったのが
潮江天満宮の由来とされています。

*Wikipedia、潮江天満宮HP参照
ラベル:摂社 御子社 高視
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2021年05月15日

太宰府天満宮本殿背後の摂社A老松社(2021.2.24)

太宰府天満宮本殿背後の摂社の中でもひときわ大きい老松社。

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道真公の父君、是善公(これよしこう)と
母君、伴氏(ともし)をお祀りしています。
是善公もまた幼い頃から優秀で
文章博士、東宮学士、大学頭、近江守などの国司も歴任しました。
是善公はその父、清公公(きよきみこう)からの私塾
「菅家廊下」も主宰して
優秀な後進を育てています。
道真公の母君は伴真成の娘。
伴氏は大伴氏が改姓してなった名前。
道真公幼少の教育環境は万全のものだったのですね。
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太宰府天満宮本殿背後の摂社@福部社(2021.2.24)

太宰府天満宮本殿背後の摂社には
御身内の方々と恩師が祀られています。
一番左の福部社(ふくべしゃ)には
師の島田忠臣(しまだのただおみ)公が祀られています。

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忠臣公は漢詩人で娘の宣来子(のぶきこ)は
道真公の正室です。
忠臣公は道真公の父、文章博士菅原是善(これよし)公に師事し、
省試に及第して文章生となりました。
是善公は忠臣公の漢詩の才を高く評価して、
嫡男道真公の教育にあたらせたということです。
忠臣公は貞観15年(873年)頃、大宰少弐にもなっています。

*Wikipedia参照
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2020年01月08日

鬼すべ

鬼すべは1月7日の夜、
災難消除や開運招福を願って太宰府天満宮東神苑の鬼すべ堂で行われる勇壮な火祭りです。

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寛和2年(986)、道真公の曾孫、大宰大弐 菅原輔正が始めたと伝えられています。
氏子約300人が鬼を退治する「燻手(すべて)」と
鬼を守る「鬼警固」、「
鬼係」に分かれて炎の攻防戦を繰り広げます。
21時、鬼すべ堂前に藁と松葉が積まれ、
御本殿でおこされた御神火で火がつけられると、
一瞬で大きな炎が上がり、冬空に熱気を送ります。

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すると燻手が大団扇で煙を鬼すべ堂へ送り込み、
鬼すべ堂の中の鬼を追い出そうとします。
中にいる鬼警固は板壁を打ち破り、煙を外に出して鬼を守ります。
板壁が破られると荒縄で縛られた鬼は
鬼係に囲まれて堂内を七回半、堂外を三回半回りますす。
堂内では神職が、堂外では氏子会長が鬼に煎り豆を投げ鬼を退治し神事終わります。

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近くで見ると、氏子たちの熱気が伝わり、
立ち上った炎が熱く感じられ、
火の粉も煤も降り注ぎます。
神事だからこそ味わえる炎の饗宴。
火という厳かなものを体験するまたとない機会です。
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2019年10月28日

障碍の茶会Y@太宰府天満宮旧東屋

アーティストの和田千秋さんと坂崎隆一さんが
太宰府天満宮でアートなお茶会をやっているので行ってきました。
夜の部と昼の部とあったので、
ここは雰囲気のある夜のかがり火茶会に行くことにしました。
障碍者にとって、正座でするお茶会は行きたくても行けないもの。
そこで車椅子のままで参加できるお茶会なのです。
健常者も車椅子を使用します。
会場設営は坂崎さん。
暗くなった天満宮の境内。
元の東屋がお茶会の場所です。
初めて乗る車椅子。

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操作方法を習って奥へ進んでいきます。
突き当りに行くと左右に分かれ、廊下をくねくね回り、
部屋へたどり着きます。
その道筋は真っ暗で大仏の胎内にでも入ったよう。
どきどきしながら進んで着いたのは陰と陽の2つある部屋の暗い方。
おもてなしをしてくれたのは和田さん。
もう一つの部屋は茶人の中村梅坂さんの担当。
窓の外の菖蒲池にはかがり火がたかれ、
ときどき散る火の粉が幽玄です。

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部屋の明かりは和蝋燭のみ。
初めに飛竜頭のお吸い物が出ました。
次にお神酒と八寸に乗った干しいちじくとままかりの酢漬け。
主菓子が出て、濃茶をいただきました。
そして干菓子が出てお薄。
あまりに暗く、いただいたものもよく見えません。

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器の形が取っ手が付いていて、
発掘されたもののような古風な感じもして、
その造形にたいそう魅せられましたが、
これも障碍者が持ちやすいように考えて作られたものだそう
(田川市の伊藤明美さんの作品)。
暗闇の中の静かなお茶会。
お点前を拝見する静かな時間。
慌ただしい現代生活にあって、
なんと優雅でアートなお茶会だったことでしょう。
かがり火茶会は修了しましたが、
昼のお茶会は11/2(土)、3(日)、4(月休)と、まだあります。
ラベル:障碍の茶会
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2019年07月27日

這松天満宮

今日の「もっと知ろう太宰府講座〜太宰府ゆかりの天神伝承と縁起絵」のmemo。
大牟田市船津町の這松天満宮にも道真公上陸の伝承があるということ。
100年前には寺子屋があって、近隣の人々が学習していたらしい。
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2019年07月25日

火難避け

情報を得たので確認してきました。

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これは火難避けだそうで、
梅と三つ巴と瓜の意匠が施されています。

太宰府天満宮御本殿内部です。
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2019年02月25日

梅花祭

本日、太宰府天満宮では道真公の御命日ということで
梅花祭がありました。
そのあと、天台宗僧侶の方々が声明をあげられました。

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天満宮の御本殿に僧侶という不思議な光景。
でも太宰府天満宮はもとは安楽寺というお寺で、
神職も僧侶も両方がいたのです。
声明をあげる途中、散華を撒かれたのですが、
その様も美しく感じられました。

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散華

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太宰府天満宮の境内には約6000本の梅の木があります。
その中に「思いのまま」という一本の木に白とピンクが混ざる品種があります。
人の手では制御できないから「思いのまま」というのだとか。
この「思いのまま」は一輪の中に白とピンクの花が咲く「絞り」も混じってます。
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2017年03月13日

太宰府天満宮境内12の御神牛  その11 延寿王院前

シリーズ太宰府天満宮境内12の御神牛のその11です。
最も人気のある延寿王院前の御神牛。

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頭をなでている写真を撮ろうと、
ときには人が列をなして並んでいます。

この御神牛は太宰府が誇る彫刻家、冨永朝堂氏が昭和60年(1985)年に奉納したもの。
背なかのラインは宝満山の山並みのイメージが重ねられています。
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2016年04月25日

「太宰府門前真舞踊祭」&つつじ

昨日は太宰府天満宮で「太宰府門前真舞踊祭」がありました。
最後に出演したホストの「太宰府まほろば衆」だけ見る機会がありました。
演目は新作「梅王」。

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「太宰府まほろば衆」はいわゆる「YOSAKOI」チームなのですが、
独特の雰囲気を持っています。
衣装の完成度が高いし、顔をマスクで隠すなど、ダークな持ち味が特徴。
この独自な路線は代表の手によるもの。
代表はグラフィックデザイナー。
演目の構想、構成、音楽、振付、衣装デザインを担当。
演目は太宰府をテーマにしていますが、
今回のテーマは歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』。

さて、天満宮は今、つつじが見事です。
一番大きなつつじはこの文書館近くのつつじだと思いますが、
他にもまだ大きなつつじがあるかもしれません。

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入念な手入れをされているからこそのこの見事な花付きです。
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2016年01月31日

太宰府天満宮:節分厄除祈願大祭

節分がもうすぐ。
太宰府天満宮は1月26日(火)〜2月3日(水)まで
「節分厄除祈願大祭」の期間です。
楼門には厄除祓門が置かれています。
2月3日は天神ひろばで
「豆まき神事(10時30分頃、14時30分頃の2回)」があります。
太宰府天満宮では梅の木の下で「ひょうたん酒」を飲むと、
難を免れるという伝承があります。
大祭期間中、厄除祈願を受けた方は
お祓いの後で御神木「飛梅」の下でひょうたん酒がいただけますよ。
うちも大人しかいないけど、
鬼は外、福は内は毎年やってます。

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2015年08月22日

どんかん祭りのしめ縄づくり

今日、天満宮に行くと、藁のいいにおいがしていました。
どんかん祭りのしめ縄を地域の方々が作ってらっしゃいました。

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藁は太宰府の三条のものだそう。
一本一本の藁を束ねていくことから始まる
しめ縄づくりの現場を始めて見ました。

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2015年06月25日

太宰府天満宮境内12の御神牛 その9 楼門前右手

太宰府天満宮境内12の御神牛のその9は
有名な御神牛で、みんな知っていますね。
ブロンズも艶々して、愛され御神牛。
わたしもよく触ってきました。

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この御神牛は文化2年(1805)乙丑の年に奉納されたもの。
奉納者:博多連中 世話人 西嶋半七祐寛
画工:眠蝶斎耕景守章(みんちょうさいこうけいもりあき)
鋳工:山鹿偽平藤原包賢(かねたか)
デザインをした眠蝶斎耕景守章。
眠蝶斎ってなかなか洒落たお名前です。
200年も残っている御神牛アート。
今のパブリックアートは200年持つのでしょうか??
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2015年06月23日

飛梅の字

天満宮の飛梅は有名ですが、
飛梅の字にも注目してください。
この字をよく見ると鳥が見えてきます。
これは道真公の筆法で「鳥点の筆法」というもの、
謫居の身の上の心情を鳥に託しているとのこと。
この飛梅はこの筆法で書かれています。
さて、この飛梅の中にはいくつ鳥が隠されているのでしょうか?

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ラベル:飛梅
posted by Rino(ニックネーム) at 12:08| 福岡 ☁| Comment(0) | ●太宰府天満宮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする