かつてここから「遠賀団印」が出土しました。
門をくぐって、すぐ左手に発掘の碑とレプリカがあります。


「遠賀団印」って何?ですよね。。。
これは奈良時代の律令国家が置いた地方軍団の銅印なんです。
当時は軍団制が採用されて兵士は公民から徴発されました。
法令集「類聚三代格(るいじゅうさんだいきゃく)」によると、
九州には国別に18軍団が置かれていたということ。
兵士の総数は1万7100人。
そのうち筑前には4軍団、筑後には3軍団、豊前には2軍団があったようです。
遠賀団印(国重文)は明治32年(1899)に
御笠北高等小学校(現太宰府市立水城小)の校舎用地を造成する時に発見されました。
昭和2年(1927)には、ほぼ同型の御笠団印も近くで発見されています。
同様の印は、ほかの軍団でも使われていたと思われるのですが、
残っているのはこの2つのみ。
写真のレプリカは大きいのですが、
現物は高さが5.1センチ、印面が4×4センチ。
東京国立博物館が所蔵しています。
(これって、太宰府に戻ってきてほしいですよね。。。)
遠賀の読み方ですが、
ここの説明には「おが」となっていますが、
国立博物館のデータでは「おんが」となっています。
いったいどっちが正しいの???
この印、押したらどうなるの?
って思いませんか?
実はレプリカの印の後ろに太宰府の文化財を紹介した陶板があり、
その中で押した状態を見ことができます。

縁がかなり擦り切れているから、
よく使われたものなのかな。。。