2020年06月14日

紫陽花の桃源郷

宝満山登山口近くのあじさい園。
そぼ降る雨の中、行ってきました。
誰一人いない桃源郷。

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一万本の紫陽花の渦が山麓に渦巻いていました。

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なんという景観。
人の手が作り出した桃源郷です。

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2015年03月19日

宝満山〜六所宝塔跡

竈門神社から東北に700mに行ったところにある本谷礎石群。
そこは六所宝塔が建っていたとされる。
六所宝塔は最澄が比叡山を開いたときに全国六カ所に建立しようとしたもの。
この地には遅れて承平3(933)年に沙彌證覚(しゃみしょうがく)が建立した。
この石塔は近年、天台宗によって建設された。

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2014年10月15日

旅する蝶に会ったよ

あったんだ蝶の楽園。
仕事が終わり、宝満山の山麓へ行った。
谷に降りると、
わたしは蝶の群れにからだを包まれた。
こんなに蝶に包まれるのは生まれてはじめて。
旅する蝶、アサギマダラの羽の色は浅葱色。
ひたすらに軽やかで、うつくしい。。。
旅の途上のあなたに会えて、
とてもうれしかった。。。

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2014年05月01日

宝満山で「十六詣り」が復活

4月20日、宝満山の「十六詣り」復活の行事がありました。
本日、西日本新聞の記事によりますと、
戦前まで宝満山では「十六詣り」というのが行われていたそうです。
これは16歳の若者たちの通過儀礼だったそうです。
竈門神社から山頂まで登るというもの。

近隣の中高生8人が体験したそう。
女の子は久留米絣の短い着物を着て、下から少し見えている赤い腰巻きがかわいい。
男子が着たのはテクリ。
テクリというのは村人の作業着なんだそう。
初めて聞いた言葉です。
ネットではヒットしないですね。。。

※参考/本日の西日本新聞
posted by Rino(ニックネーム) at 11:27| 福岡 ☀| Comment(0) | ●宝満山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月08日

宝満山はかつて山自体が小都市だった!

今日の太宰府天満宮も人が多かったです。
裏道を行って、行きはよかったものの、
帰りは離合で一苦労(×_×)

天満宮近くでの用事をすませて、
九博のゴッホ展のチケットで入れる4階の常設のトピック展示を見ました。
常設も素晴らしいものがいっぱいですよ。
わたしがいつも見るのは縄文土器。
アジア関連の仕事をやっているので蒙古の碇も参考になりました。
筥崎宮などにある碇の一部の碇石を見ても、
どうやって使っていたかぴんとこなかったのですが、
木と組み合わせて再現されているのを見て納得。
トピック展示では「邪馬台国」の平原遺跡から出土した「大型内行花文鏡」の大きさにびっくり。
もう1つのトピック展示「螺鈿」はベトナムや韓国の螺鈿に魅せられました。
4階で展示を見る前に、わたしがいつもやっておくことは
入り口のシアター4000の整理券をもらっておくこと。
展示を見たあと、時間があえば見る前に、ここの超高精細映像を見るのです。
今回は出し物が変わっていて、伊能忠敬の映像でした。
まるで絵画のようなその地図。
しかも正確です。
どのように測量したのか、地元の人々を動員した絵があって、
その絵のかわいらしさにほほえみました。
伊能忠敬すごいです!
文化を享受できる九博が市内にある太宰府に暮らしてラッキーです。

で、そろそろタイトルの宝満山はですよね。。。

駐車場から見える今日の宝満山は雪をかぶっていました。
霜みたいなものかもしれない。。。

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今は登山の山として緑に覆われた宝満山ですが、
かつて、この山は
修験者が暮らし、集落があり、
山中にまるで都市があるように人が暮らしていたということなのです。
それを裏付ける遺跡が次々に発掘されています。
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2008年05月16日

初めての宝満山 その6 「座主跡」

上宮に少しばかり留まったのち、
山頂の裏側にある座主(ざす)跡を目指しました。
ここは現在、宝満山キャンプセンターとなっています。
昭和43年、西鉄福岡山岳会によって建てられ、
竈門神社に奉納されました。

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座主跡は元禄時代から明治維新まで、
宝満山の山伏の座主の地位にあった楞伽院の跡。
唐破風の玄関の立派な建物があったそうです。
50mほどのところにある水場付近には
座主楞伽院代々の墓所があります。

この場所で昼食を取ったのですが、
このあと折り返して下山…、
という行程かとお思いかもしれませんが、
案内者の計画はそうではありませんでした。
のんびりする間もなく、
すぐにまた歩き始めます。

この機会でしか見られないものを、
この何とも頼りない初心者も混じる一行に見せようと、
先を急ぎます。

座主跡を中心とした一帯は東院谷といって、
僧坊が多く建っていました。

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坊跡の石積みを横目に見ながら、
黙々と歩きます。


案内者はついに今回の登山のクライマックスへと
一行を導きました。
そこは、からっていたリュックもステッキも
置いていかなくてはならない
険しい道の果てにありました。

…ついに到達。

そこは今も古代から続く祈りの場として守られている、
霊山宝満山の中でもおそらく抜きん出て神聖な場所。

これまで見てきたどの磐座よりも
荘厳な感じを漂わせています。

この山の皮膜を打ち破り、
天に向かって生え出てきたかのような巨岩。
押し合うようにそそり立つその巨岩の形状に
圧倒されるばかりです…。
古代、この山奥深くたどり着いた人々は
この自然の偉大さを畏れ敬いました。
祈りの山、宝満山に触れられたような気がした瞬間でした。
(※「岳人」2008年4月号には
この場所を訪れた立松和平氏の記事が掲載されています)

今、宝満山を仰ぎ見ると、
ああ、あの山についに登ったのだという感慨を覚え、
そこに秘められた歴史と自然の豊かさに
改めて魅了されています。

(初めての宝満山 了)



ラベル:宝満山
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2008年05月15日

初めての宝満山 その5 「上宮」

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急な階段を登ると…、
そこは頂上でした!

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右側に社があります。

これが写真でよく見ていた頂上か…!、感激です。
想像していたよりも広かった。

この社は昭和32年に再建されたものだそうです。

近くに丸い案内板があり、
地理がだいたいつかめます。
晴れた日には英彦山、雲仙岳まで見えていたといいますが、
最近の大気汚染のためなのか、
この日の天候によるものか、
そこまでは見ることができませんでした。
でも頂上からの眺めは爽快です。

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社殿と舞台石の間の石段を降りると、
かつては法喜菩薩と風天の社がありました。
そこは空海が雨を祈り風神を祀ったところなのだそうです。

上宮が建つ岩の真下からは
おびただしい土師器のかけらと、
小さな仏像なども発見されました。
古い古い時代、人々は宝満山の神様に祈りを捧げ、
本社の後ろに土師器を投げていたのです。

頂上の露岩は神が依りつく磐座(いわくら)。
厳しい自然を生き抜いていくために、
秋に穀物が実るように、
人々は太古からこの山の上で祈りを捧げてきたのです。

宝満山の山頂に吹く風は、そう囁きます。



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2008年05月14日

初めての宝満山 その4 「馬蹄石」

白村江の戦い(663年)から10年後。
天武天皇の御代、
白鳳二年(673)に心蓮上人という人が宝満山に籠もって
修行をしていました。
2月10日の午前8時ごろ(詳しい日時です)、
にわかに山谷が震動してなんとも言えない香りが漂いました。
そして貴婦人が現れたのだといいます。

その貴婦人は心蓮上人にこう告げました。

「我はこれ玉依姫(たまよりひめ)の霊、
現国(うつしくに)を守り、民を鎮護せんために、
この山中に居すること年久し…」

そう告げると、
たちまち雲霧がおこり、
貴婦人は金剛神に姿を変え、手に錫杖(しゃくじょう)を携え、
九頭の龍馬に乗って飛行しました。

そのときの龍馬の蹄のあとが岩の上に残りました。
それが馬蹄石だということです。

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(※写真をクリックすると大きくなります)

石を見て、
このような物語を紡ぎだすとは
豊かな想像力です。

もうすぐ頂上という所にある岩に
仙高フ筆で次の詩句が記されています。

「玉姫降神則山谷鳴震動
 心蓮登座則天華飛繽粉」

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この岩の後ろにある大岩の上に
馬の蹄のように窪んだ所があるということです。

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2008年05月13日

初めての宝満山 その3 「竈門岩」

宝満山は、かつて竈門(かまど)山と呼ばれていました。
その由来は9合目にある竈門岩からきているという説があります。

竈門岩は人為的に立てられたような
高さ2メートルほどの3つの岩で、
竈(かまど)をかたどったものだと言われています。

ここは祭祀の場であり、
祭祀に使われた土器なども出土しています。

この3つの岩に竈(かま)をかけ、
竈門岩の下方にある「益影(ますかげ)の井」の水を汲んできて、
応神天皇の産湯を沸かしたという伝説が残っています。
応神天皇の母は神功皇后。
神宮皇后は宇美で応神天皇を出産されたということなのですが…。

宝満山には五所秘水といって霊水が湧き出る泉があって、
その中で1番神聖な泉が「益影の井」ということです。
人がこの水に影を映すと益々若く少壮のごとく映るので
益影の井というのだそうです。

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岩の1つには大きく「仙竈」と彫られています。
3つの岩の1つに彫ったものだと思っていたら、
これは再興されたものなのだということです。

3つの岩の1つは、ある時、折れてしまったのです。
それで江戸時代、福岡の魚屋武四郎という人物が願主となって、
博多聖福寺の住職だった仙高フ書を彫り、
文化13年(1816)に再興したのだそうです。

山中に立ち尽くす巨石は冒しがたい神々しさがあります。
古代、巨石を見て、人は神が降り立った場所だと思ったのです。
そこは天に一番近い場所。
世界を眼下に望む場所。
宇宙の神秘を最も感じる神聖な場所だったのでしょう。


竈門岩のある場所は峰になっていて、
竈門岳と呼ばれています。


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2008年05月12日

初めての宝満山 その2「梵字」

標高約800m、中宮跡の先に
高さ5mほどの自然石に彫られたこの梵字が残っています。

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上方に大きな線彫りの月輪を並べて、
その中に金剛界と胎蔵界の大日如来を表す梵字を刻んでいます。

中央には
「文保二年戌牛(1318)九月、施主大先達権大僧都法印伊多坊幸榮入峯十六度」
と彫られています。

この向かいにある屏風のような岩にも梵字が彫られていたそうですが、
廃仏毀釈で削り取られてしまったそうです。
そこには十一面観音、釈迦、弥陀、大日の四仏の種子(しゅうじ)が彫ってあり、
最澄の筆と伝えられていました。

この二つの岩の間の平地には
役行者堂があり、
堂の前には護摩壇、笈立岩、七大童子の祠があったということです。


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2008年05月11日

初めての宝満山 その1「中宮跡」

体力に自信のないわたしが
無謀なことをやってしまいました。
宝満山に登ったのです。
山というものには、ほとんど縁がない生活。
天拝山にすら登ったことがないというのに…。
それなのに、いきなり宝満山!

どうしても、宝満山には登りたかったのです。
古都大宰府保存協会が主催した森弘子さんの講演を拝聴して
この山の奥深い歴史に触れて以来、
ますますその気持ちを募らせていました。
そして、ついにその機会がやってきたというわけです。

前日、初心者が宝満山に登るのなら
とりあえず道具に頼りましょうと、
雨の中、太宰府インターの近くに
アウトドアショップがあったっけ?と、「好日山荘」へ。
登山靴と靴下とリュックと、
いきなりの登山で足を痛めないようステッキも購入。
店員のお兄さんに上りの靴紐の結び方、下りの結び方、
さらに上りと下りの歩き方、ステッキの使い方など、
レクチャーを受けました。
わたしが次々に浴びせる質問に、とことん付き合ってくれて、
ほんとに親切な店員さんでした。
お兄さん、ありがとうございました。

不安を抱えつつも、
雨が上がった翌日、登山に参加しました。
案内者は宝満山の生き字引きのような方。
初登山なのにラーッキーです。

でも、こちらは竈門神社までの階段を登るだけで、
ふーふーいってしまう情けなさ…。
普段パソコンに向かってばかりですから…。
でも人間って頑張れるものです。

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宝満山は今は宝満山と言っていますが、
昔は御笠山、竈門山と言われてきた山。
古代から祭祀が行われてきた霊山です。
その歴史に少しでも触れてみたい、
これが今回、この登山に参加した理由でした。

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さて、わたしにとっては仙人のような案内者に連れられて、
必死の登山が始まりました。

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ついていくのがやっとで、足元ばかりとにらめっこ。
(険しい山道は、とにかく登ることに必死で
写真を撮る暇がなく、よってまったく写真がありません…)
どこをどう通っているのか、
確認する余裕すらありません。
そして、いつのまにかたどり着いたのが中宮跡でした。

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いきなり広場が現れます。
中央に「竈門山碑」と記された石碑が立っています。
かつてここは山伏修法の中心地であり、
講堂、神楽堂、鐘楼、石の鳥居、荒神社、
法華塔、九重塔などがありました。

講堂の屋根はクヌギ葺きだったそうです。
ご本尊は十一面観音でした。
脇侍には毘沙門天、伊豆奈不動が祀ってありました。
前の広場では護摩が焚かれ、加持祈祷が行われていたのです。

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竈門山碑の前には、ばらばらになった石の鳥居が横たわっています。
すべては明治の廃仏毀釈で破壊されてしまったのです。

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さて、次回はさらに高みを目指します。


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posted by Rino(ニックネーム) at 22:31| 福岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ●宝満山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする