山手へと足を伸ばしてみました。
宝蔵の脇の野原は刈り取られた草の香りで満ちていました。
お線香の香りが漂ってくると思ったら、
旭地蔵尊でした。
ここは仁治元年(1240)、横岳山崇福寺を創建した禅僧、
湛慧(たんね) の墓所と伝えられています。

そのころ観世音寺にも1月7日に鬼すべの行事があったそうです。
観世音寺の鬼すべは、その日、寺を通る人を捕まえて、
頭に鬼の面をかぶせ、鬼として打ったり叩いたりするものだったということです。
ある年の鬼すべの日、たまたま通りかかって鬼にされてしまったのが湛慧でした。
辱めを受けた湛慧は憤慨して朝日山の東側に穴を掘り、
中に籠もりました。
穴の中からは読経の声と鉦(かね)の音が聞こえていましたが、
ある日、途絶え、
湛慧は座ったまま息絶えていたということなのです。
湛慧は手厚く葬られ、後に地蔵を祀ったのがこの旭地蔵尊。
崇福寺は天正14年(1586)年、島津氏と大友氏の戦いで焼失しましたが、
慶長5年(1600)年に黒田長政が博多に移して黒田家の菩提寺としました。
博多区千代にある崇福寺の敷地内には
福岡城本丸の表門だった山門(重要文化財)や
名島城(今は失われた海辺のこのお城は、
その跡地にたたずみ往事の姿を偲ぶと浪漫を感じてしまいます)
の唐門(重要文化財)も移築されています。
旭地蔵尊も境内に建てられていて、
御本尊の地蔵像は太宰府から移されたと伝えられています。
ここではお百度参りをする人の姿を見かけます。
太宰府に残った旭地蔵尊も病気や悩み事など、
願い事を聞き届けて下さるという信仰が根付いていて、
線香の煙が絶えません。
この旭日地蔵尊を訪れた日にも、
老婦人がお線香を上げ、
お参りしてらっしゃいました。
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