2015年01月18日

「苅萱の関跡」〜千代鶴姫のお話

今朝読んだ本。

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子どものころ西鉄電車に乗ると、田園の中にぽつんと白い看板があって
「苅萱の関跡」と書かれていた。
その看板が見えると「都府楼前」駅が近づいたくらいの意識しかなかった。
でも、そのイメージははっきりと頭に刻まれている。
その田園は今では様変わりして、国道3号線が貫き、住宅が立ち並んだ。
そして「苅萱の関跡」は場所を移された。
「苅萱の関跡」は言わずとしれた刈萱道心と石堂丸の物語の舞台の一つ。
苅萱の関守であったが出家した父を追って高野山に行った妻と息子、石堂丸。
でも一人、女の子はこの地に残された。その名は千代鶴姫。
母を旅先で亡くした石堂丸が戻ってくると、
千代鶴姫も死んでいた、という記述しか読んだことがなかったけれど、
この本には一人残された千代鶴姫が母と弟を追う場面が書かれていた。
「お母さん、お母さん」と泣き叫んで追った千代鶴姫は、道中は危険だからと、
母に言い聞かされ、聞き分ける。
「お母さん、石堂丸元気でね!」と何度も振り返って帰っていく千代鶴姫。。。
本には昔、見ていた田園の中にあった「苅萱の関跡」の看板が千代鶴姫の墓と書かれていた。
昔、その話を知っていたら、田んぼの中にこんもりと見えたお墓に、
そっと花を添えに行きたかったと思ったりした。。。
ああ、せつない。
posted by 理乃(ニックネーム) at 13:02| 福岡 ☀| Comment(0) | ●苅萱の関跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月27日

「苅萱(かるかや)の関跡」

西鉄都府楼前駅から歩いて5分ほどのところにある「苅萱(かるかや)の関跡」。

karukaya.jpg

「苅萱道心(どうしん)と石堂丸」の伝説が有名です。

苅萱道心とは苅萱の関の関守をしていた
加藤左衛門尉繁氏(さえもんのじょうしげうじ)が
出家した後に名乗った名前。

繁氏の父、加藤左衛門尉繁昌(しげまさ)は40歳を過ぎても子に恵まれず、
香椎宮に願をかけに行きました。
すると、夢枕に香椎宮の使いが立って、
「箱崎の松原の西の橋際の石堂口の川のほとりに玉のような石がある。
これを持ちかえり妻に与えれば、
必ずや男の子が生まれるであろう」
とのお告げがありました。
石堂口へ行くと、お地蔵様があり、
その左手に光明を放つ丸い石が乗っていたので、
大事に石を大宰府の家に持ち帰り、
妻に与えたところ、妻は男の子を出産しました。
その子に石堂丸と名づけたのです。
この石堂丸が繁氏、後の苅萱道心です。

繁氏には妻と娘と妾(そばめ)がいて
皆仲良く暮らしていました。
しかし、それは上辺だけで妻と妾は憎みあっていました。
自分の罪を知った繁氏は家族を捨て、
苅萱道心と名乗り、高野山で修行をします。

十数年たったある日、
繁氏は父を探して高野山をさまよう男の子に出会います。
話を聞くと、その子は自分が旅立ったあとに妻が産んだ我が子…。
妻はその子に父と同じ石堂丸と名付けていました。
妻と子は繁氏を探して高野山まで来たのです。

ところが、世を捨てた繁氏は、
父と名乗ることもせず、石堂丸を帰します。
再び繁氏を訪ねた石堂丸は、
麓で待っていた母は亡くなり、
大宰府に戻ると姉もまた亡くなっていたと言います。
石堂丸は家族を弔おうと再び繁氏を訪ねたのです。

繁氏はそれでも父とは告げず、
我が子を弟子として迎え、
石堂丸も父とは知らず、一生仏道修行をしたそうです。
(ひどい父です…)


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posted by 理乃(ニックネーム) at 12:56| 福岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ●苅萱の関跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする