2014年05月20日

大好きな森。。。

今日はわたしが好きな森をご紹介しましょう。
お墓なんですけどね。。。

それは武藤資頼(すけより)とその息子の資能(すけよし)のお墓。

場所は市民の森の入り口にあるテニスコートの右手の道から入っていきます。

資能墓1_1.jpg

うわ。
イノシシさん出てこないでね。
でも出たらゆっくり静かに行動し、って
それを具体的に書いてほしい。
幸い未だイノシシに会ったことはないけど。。。

資能墓2_1.jpg

標識があるので、ここから右へ入っていきましょう。

資能墓3_1.jpg

ああ、なんとすてきな道。。。
すきすぎる。。。

資能墓4_1.jpg

さあ、お墓です。
左の五輪塔が父の武藤資頼の墓、宝篋印塔(ほうきょういんとう)が息子資能の墓です。
で、誰?それ?ですね、ふつう。。。

武藤氏は鎌倉幕府の武将。
少弐(しょうに)という姓を名乗っていました。

武藤資頼は筑前・豊前・肥前・対馬の守護として大宰府に下ってきた人。
大宰少弐に任ぜられ、に九州の最高責任者となったのです。
資能は元冠が攻めてきた文永の役の際に、その息子経資とともに戦いました。
なんと次の弘安の役でも出陣。
その時に傷を受け、八十四歳の生涯を閉じたといいます。

鎌倉の武士たちがひっそり眠るこの地。。。

資能墓5_1.jpg

資能墓6_1_1.jpg

参考/西都 太宰府
posted by 理乃(ニックネーム) at 16:04| 福岡 ☔| Comment(0) | ●武藤資頼・資能の墓 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月25日

武藤資頼・資能の墓

太宰府市民の森の右手、安養寺の跡といわれる山すそに
武藤資頼(すけより)・資能(すけよし)の墓があります。

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訪れる人も少ない静かな竹林の中…。

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武藤資頼の墓は五輪塔です。

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この五輪塔は上の空輪、風輪が欠損していますが、
隅切(すみきり)五輪塔と云われる珍しい形をしています。

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資頼の息子、武藤資能の墓は宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。

1192年、鎌倉幕府を開いた源頼朝は武藤資頼を鎮西奉行に任じます。
武藤資頼は大宰府に下り、
朝廷からは武将として初めて大宰少弐(だざいしょうに/事実上の大宰府政庁長官)に任ぜらます。
それから少弐姓を名乗るのです。

二代目の資能も鎮西奉行の職と大宰小弐の位を継ぎます。

資能の方は元寇で活躍しました。
文永の役では息子を助け、日本軍の先頭に立って、戦いました。
弘安の役の際にも出陣しましたが、
その時に受けた傷が原因となって、
84歳で亡くなったということです。

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★2010年4月8日撮影の写真を追加します。

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(※クリックすると大きくなります)

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20100408muto4.jpg

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posted by 理乃(ニックネーム) at 22:42| 福岡 | Comment(0) | TrackBack(0) | ●武藤資頼・資能の墓 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする