2015年02月02日

隈麿公奥都城の六弁の梅

左遷されて太宰府にやってきた菅原道真公が伴ってきた二人の幼子。
一人は隈麿、そしてもう一人は紅姫。
隈麿は翌年病没します。
そしてここがお墓です。

20150202六弁の梅3_1.jpg

以前より、この辺りは墓地で
笹や萱が生い茂った小高い丘だったそう。
今は地区の納骨堂ができています。

上に上がって納骨堂のさらに多くへいくと
隈麿公奥都城(お墓)があります。

20150202六弁の梅5_1.jpg

今日の目的はこの奥都城の両側で咲き出した梅の花です。
両方とも五弁の梅に混じって六弁の梅が咲くといいます。
探してみました。
馥郁とした梅の香りがします。
左右1本ずつ、1つの六弁の花を見つけました。

20150202六弁の梅_2_1.jpg

初めて見る六弁の梅の花。
なんだか四つ葉のクローバーを見つけたみたいにすてきなきぶん。。。

20150202六弁の梅6_1.jpg

撮影しているとうしろのおうちから、この場所のお世話をしているおばあちゃんが登場。
隈麿公奥都城のご神木の立派な楠はおばあちゃんのご主人が植えたものだそう。
おばあちゃんは六弁の花が咲く梅の木の種を取り、
木を増やしています。
この畑の奥の梅の木たちも六弁の梅の花をつけるのだそう。

20150202六弁の梅7_1.jpg

おばあちゃんのお年をうかがってびっくり。94歳だそうです。
元気の秘訣は動くことと、畑で自分で作った無農薬の野菜を食べることだそう。
歴史の生き証人でもあります。
納骨堂の脇の戦没者供養塔の裏に書かれた若くして戦死した若者たちの
一人ひとりの顔を頭に描くことができるそうです。

20150202六弁の梅9_1.jpg

隈麿公奥都城の梅の花はこれからが見頃です。

[ここに地図が表示されます]


posted by Rino(ニックネーム) at 16:30| 福岡 ☀| Comment(0) | ●隈麿公奥都城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月03日

「隈麿(くままろ)公奥都城(おくつき)」

都から大宰府に左遷された菅原道真。
このとき紅姫と隈麿の二人の子どもたちを連れてきていました。
(道真には23人子どもがいたと言われています)

ひどい暮らしぶりの中で道真は脚気や皮膚病に悩み、
胃腸もこわすという状態になりましたが、
隈麿は、大宰府に着いた翌年、病で急逝してしまいます。

隈麿のお墓は榎社の近くの小高い丘にあります。
「隈麿之奥都城」がそれ。
奥都城とは墓所を意味します。

kumamaro1.jpg

紅姫のことはよく分かっていないようですが、
一説には隈麻呂に次いで翌年、道真も亡くなってしまったので、
土佐に流された道真の長男、高視の元に向かったと言われています。
榎社の社殿裏には紅姫の供養塔があります。
「隈麿之奥都城」から東へ4〜5分の所にも、紅姫の供養塔といわれる板碑があります。

「隈麿之奥都城」のある丘は納骨堂があって、
その一角に祠があります。
祠の脇には六つの花弁をつけるという
梅の木があります。

kumamaro2.jpg
ラベル:菅原道真
posted by Rino(ニックネーム) at 11:51| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ●隈麿公奥都城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする