以前ご紹介した通古賀の王城神社の近くの
陶山(すやま)一貫さんという方の子孫のお宅の庭に
三条実美公お手植えの松があります。

幕末、文久3年(1863年)のこと、
江戸幕府と朝廷を結びつけようとする公武合体派は、
尊王攘夷派を京都から追放。
尊攘派の公家7人が「七卿落ち」ということで
西国に下ることになったのです。
七卿はその後、五人(三条実美・三条西季知・四条隆謌・東久世通禧・壬生基修)となり、
太宰府の延寿王院に滞在しました。
この間に西郷隆盛、坂本龍馬などの
維新の志士たちも太宰府を訪れます。
五卿ははじめは軟禁状態にあったということですが、
しばらくすると周辺の名所旧跡を訪れ歌を詠んだりするようになったということです。
三条実美はこの通古賀の陶山一貫さん宅にたびたび立ち寄ったとのこと。
あるとき宝満山に登った三条実美は
松の木を持ち帰り、育てます。
大政奉還で京に戻ることになったとき、
陶山一貫さんの庭にその松を
手ずから植えられたということ。
その松は枯れてしまったのですが、
今は二代目の松が残っています。
それがこの写真の松。
戻る際に五卿たちは太宰府天満宮に
衣装や刀剣などを奉納しました。
三条実美も短刀村正、鞍、鐙、軍扇などを寄進しています。