2024年04月10日

眺望の森

四王寺山の「眺望の森」へ行ってきました。

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市民の森の春の森の奥から左へ入って行き、
山道を登ります。
これまで見た位置とはまた違う風景が眺望できて感激でした。

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2020年06月03日

四王寺山越え

宇美町での用事の帰り、山越えを選択しました。
6月の雨上がりの山は美しさが際立ちます。

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百間石垣

深い緑が次から次に迎えてくれました。

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焼米ヶ原

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焼米ヶ原
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2020年04月03日

2020花追い人@岩屋城址&焼米ヶ原

今日の岩屋城址と焼米ヶ原。
桜は満開です。
桜の花が舞い散る林道は、
ただ静かで浄化されるようでした。

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岩屋城址

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宝満山と桜

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宝満山と桜

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焼米ヶ原

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焼米ヶ原
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2015年06月03日

四王寺川の流れ

窓を開けると毎日見える四王寺山。
ここは史跡の国宝といえる特別史跡に指定されている山です。
ここに大野城が築かれて今年で1350年。
そのとき築かれた石垣は全長約180mもある壮大なもので、
百間石垣と呼ばれています。
いまだに1350年前の石垣を目の前に見ることができて
ここに来るとただ圧倒されるばかり。。。
この写真は、百間石垣の前を流れる四王寺川の流れです。

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2015年03月06日

高橋紹運辞世の句碑

今日の太宰府コア情報は高橋紹運の辞世の句の碑です。
天正14年(1586年)、5万と言われる大軍を率いた島津軍とわずか763人の高橋紹運(じょううん)率いる大友軍は壮絶な戦(岩屋城の戦い)を四王寺山にあった岩屋城で繰り広げました。
紹運以下全員が討死して戦いは終了。
大軍に対して決して怯(ひる)まなかった紹運は豊臣秀吉から戦国の花と呼ばれました。
四王寺山の焼米ヶ原のあたりでは水ノ手上砦部隊が戦いました。
この碑は家臣村山刑部以下68名の慰霊碑。
裏に高橋紹運の辞世の句が記されています。
では碑のある場所を。。。
四王寺林道の岩屋城入口から車でさらに先に進みます。
すると道路右側に駐車場があります。
ここから土塁や焼米が原、太宰府口城門などへ行けます。
駐車場からすぐ右手の高くなったところに碑はあります。
碑の裏側には木があるし、標識もないので、見落としがち。
では刻まれた辞世の句です。
 「流れての 末の世遠く 埋(うず)もれぬ 名をや岩屋の 苔の下水(したみず)」

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2015年02月22日

焼米ヶ原のノグルミ

桜の時期を待つ焼米ヶ原。
ほとんど人のいない焼米ヶ原。
そこで今年もなってたかわいい実。
それはノグルミの実。

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青空に歌うように音符のように
リズムを送るノグルミの実。
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2011年06月26日

失われた道「四王寺山の太宰府町道」

今日は、本当は「四王寺山の太宰府町道」を歩くはずでした(市の主催のイベント)。
でも、雨の影響で中止になって残念。。。
またチャンスがあるかな?

「四王寺山の太宰府町道」はかつて、
四王寺山の上にある四王寺村の子どもたちが
太宰府小学校まで通っていた道。
今では姿を消しています。

この道は太宰府市民遺産題3号に認定されています。
この道をクローズアップし、整備を進め、
守っていく活動を行っているのが「四王寺山勉強会」の方々。
その「四王寺山勉強会」の方のお話を聞きました。

太宰府町道は高低差約280メートル、全長約4キロ。
子どもたちは朝は40〜50分で登校していたそうです。
大人もこの道を通って買い物に行っていました。
幅約3メートルの道を牛も通っていたとか。


「四王寺山の太宰府町道」については
「太宰府市文化ふれあい館」で開催中の
「太宰府市民遺産展(〜8月28日まで)」で
資料を見ることができます。



posted by Rino(ニックネーム) at 21:50| 福岡 ☁| Comment(6) | ●四王寺山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月05日

桜が綾なす四王寺山

太宰府は桜の名所がいっぱい。
日曜日、午後4時半くらいから、
四王寺山に車を走らせました。
四王寺山は桜の山。
林道沿いに桜が植えられていて、
今、まさに盛りの美しい姿を見せています。
桜吹雪の山道。
次々に車窓に現われる桜に見とれても、
車はまばらなので大丈夫。

では車から見られる桜をごらんください。

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道々、車がとまっているスポットが多少ありますが、
とめられないくらい車でいっぱいなのが
「焼米ケ原」。
7世紀に築かれた古代の土塁と
倉庫跡が見られる絶景スポットです。

「焼米ケ原」には古代の城の防衛に備えて
倉庫が10棟建っていたといいます。
外的の攻撃に備えて米を貯蔵していたのです。

当時のお米が炭化したものは今でも見ることができます。
倉庫跡で探せば出てくるのです。
気長に探してみませんか?
わたしも1粒だけ持ってます。

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古代人が築いた土塁の美しいライン。

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四王寺山へは太宰府天満宮近くの
「浦の城橋」をわたってまっすぐ山道を進みます。


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2008年07月09日

四王寺山めぐり その14 「磨崖梵字仏」

14回にわたり、少しずつお届けしてきた四王寺山めぐりも
これがラストです。

「磨崖石塔群」のすぐ近くの岩場には
「磨崖梵字仏」(1343年)が彫られていました。

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梵字はただの文字ではなく、
それ自体に力があるとされていました。

中世の人々はこの山を訪れ、
この岩場で何を祈念していたのでしょう。
梵字の意味は分からないけれど、
古代、防衛の山だった大野城跡は
中世には祈念の山でもあったという印を見ることができました。

今回、充実した四王寺山めぐりに参加させていただいて
とてもよい体験ができたと思います。


(四王寺山めぐり 了)




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2008年07月08日

四王寺山めぐり その13 「磨崖石塔群」

四王寺山めぐりも、いよいよクライマックスです。

高橋紹運胴塚を訪れたあと、
「磨崖石塔群」へ向かいました。
位置的には高橋紹運胴塚から東へ下ったところ。
分からないですよね。
わたしも一人では行けません…。

「磨崖石塔」とは山中の岩に直接、石塔を刻んだもの。
中世以降、修験道の流布に伴って彫られてきました。

ロープが張ってあります。

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えーっ! 唖然…。がく〜(落胆した顔)
これはロープを持ってないと危険ということですね。
っていうか、ロープなしでは恐くて1歩も歩けません…。
ただの斜面です…、足がすくみます…。
わたしの中ではありえない…という道なのですが、
みんなは普通に歩いて行きます。
これはついていかなくてはなりません…。
道がしっかりしていないということは、
あまり人も訪れていないということ…。

必死についていっているうちに、
あった!

magai2.jpg
(ごめんなさい。写真がブレてます…)

斜面に石塔が3基彫られています。
真ん中と右側の塔には貞和2年(1346)銘が確認できます。
感動です。

magai4.jpg


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写真では分かりづらいのですが、
この岩盤は実際は覆いかぶさるように
かなり斜めになっていて、
彫るときにはいったいどういう体勢をとったのだろうと思います。
足場を作って、こつこつと彫っていったのでしょうね。
南北朝時代を生きたこの人物は
何を思ってこの困難な作業を続けていたのでしょう…。




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2008年07月07日

四王寺山めぐり その12 「高橋紹運胴塚」

四王寺山めぐりの続きです。

岩屋城跡から車道を挟んで反対側の位置にあるのが
高橋紹運(じょううん)のお墓(胴塚)です。

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見えてきました。

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岩屋城跡は本丸跡ですが、
こちらは岩屋城の二の丸跡。

島津方は自刃した紹運の首を自陣に持ち帰り、
確認してそこに埋めたそうです。
ですから首塚の方は今の筑紫野市の般若寺跡近くにあります。

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こちらが首塚。

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2008年07月04日

四王寺山めぐり その11 「岩屋城本丸跡」

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四王寺山を見上げると、右手にぽっこりしたところがあります。
行ってみたいと長年思いつつ、
このたびやっとその思いを遂げました。

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ここは戦国時代の山城、岩屋城跡なのです。
太宰府の方なら一度は目にしたことがあるに違いない
「嗚呼壮烈岩屋城址」という文字が書かれた碑があります。

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碑の裏はこうなってます。

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石工の名前も彫られています。

ここは戦国時代の戦いの跡。
高橋紹運(じょううん)が島津勢を相手に壮絶な戦いを繰り広げました。

戦国時代末期、九州では豊後の大友、薩摩の島津、肥前の龍造寺がしのぎを削っていました。
高橋紹運理は元亀元年(1570)大友宗麟の命を受け太宰府の宝満城と岩屋城の城督に着任します。
豊臣秀吉は島津に戦闘の停止を命じますが島津はこれを拒否。
岩屋城の攻略を企て、高橋紹運は岩屋城で迎え撃ちます。
天正14年(1586)、島津は攻撃を開始。そのときの島津軍は4万とも5万とも伝えられています。
一方岩屋城の高橋側はわずか760余人で防戦したのです。
14日間にわたり岩屋城を死守した紹運も薩摩の大軍の前に力尽き、
激戦の末、全員が城を枕に討ち死にしたそうです。
このとき紹運、弱冠37歳。
島津方の死者を合わせると、
ここでどれだけの人たちが命を落としたのでしょう。
そんな歴史を持つ山でもあるのです。

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岩屋城址から眺める都府楼跡は土塁上から眺めるよりも近く、
最高です!
今の平和をかみしめつつ眺めたくなる場所です。

(※参考 西都 太宰府)

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ラベル:四王寺山 岩屋城
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2008年07月03日

四王寺山めぐり その10 「大宰府口城門跡」

6月1日のブログで一度、ご紹介した
大宰府口城門跡。
2度目に「四王寺山めぐり」で訪れたときの写真をアップします。

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入口が狭まっていて、
城門があったのだということがよく分かります。

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2008年06月28日

四王寺山めぐり その9 「玄清法印の墓」

四王寺山の焼米ケ原のこんもりと木が茂っている一角に
よく見るとお墓があります。

玄清法印のお墓です。

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玄清法印は、766年に太宰府に生まれています。
17歳のときに視力を失うのですが、
盲僧となり琵琶を弾いて人々を救いました。
最澄が比叡山延暦寺を建立するとき、
毒蛇に悩まされます。
そのとき法印の噂を聞き、毒蛇退治を依頼しました。
法印が比叡山まで出向き、
琵琶を弾いて経を唱えると毒蛇は退散したそうです。
この功績により法印は「成就院」という称号を受け、
最高の僧位「法印」の法号も授けられました。
そして延暦8年(789年)に四王寺北谷に成就院を建立したと伝えられています。

太宰府で天然痘が流行した際、
玄清法印は四王寺山に登って地神陀羅尼経を唱えながら、
琵琶を弾き続けて天然痘の流行を鎮めたといいます。

玄清法印は弘仁14年(822年)に57歳で亡くなります。
でもお墓は長い間、どこにあるか分からなかったそうです。
そこで一千年忌(1834)に建てられたのがこの四王寺山上のお墓です。
ところが明治34年(1901)に四王寺山山麓の坂本で玄清法印の塔婆が見つかりました。
そこで千百五十年忌を記念して、坂本にもお墓を築いたのです。
というわけで玄清法印のお墓は四王寺山の上と麓に2つあるのです。

(※参考『西都 太宰府』)

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これが坂本のお墓です。
坂本八幡宮から四王寺山へ向かって歩いていった左手にあります。

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坂本の玄清法印のお墓の遠景。


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2008年06月27日

四王寺山めぐり その8 「第6番札所」

四王寺山の焼米ケ原には
四王寺33ヶ所石仏のいくつかが
点在しています。

これは第6番札所です。

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四王寺33ヶ所石仏のほとんどは観音さまなのですが
第6番は三宝荒神、いわゆる荒神さまです。

ps.
本日はお仕事の前にKBCシネマで
「幻影師アイゼンハイム」を見てきました。
見ようかどうか迷っている方がいらっしゃったら、おすすめです。
ラストのあのめくるめく感動…!
詳しくご紹介する時間があればよいのですが、本日はこれにて…。

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2008年06月25日

四王寺山めぐり その7 「焼米ケ原」

5月31日にもご紹介した「焼米ケ原」。

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土塁の縁から下に広がる太宰府の街を眺めます。
なんて、すてきな眺め!

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外的の攻撃に備えてお米を貯蔵していた大野城。
この場所には倉庫が10棟建っていました。
そのお米が炭化米として出るため
ここは「焼米ケ原」と呼ばれています。

「探せば、炭化したお米を見つけることができるみたいです」、
と前回書きましたが、出るんですねえ、ほんとに!

Kさんが、その場で探して見せてくれました!

これが炭化したお米です!

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ほんとにお米だ!
1300年前の?!目
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2008年06月24日

四王寺山めぐり その6 鏡ヶ池

四王寺山の増長天礎石群のすぐそばに、
鏡ヶ池という擂り鉢状の小さな池があります。

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どんなときも干上がることはなかったということで、
現在もこのとおり、
水を湛えています。

池の中の鏡を取り出すと雨が降ると言われているそうですが、
今でも鏡が埋まっているのでしょうか??
「武具づけの池」とも呼ばれ、
かつて熱くなった武具をこの池で冷やしたということです。

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2008年06月23日

四王寺山めぐり その5 増長天礎石群

四王寺山の土塁線上を歩いていくと、
ホオの木がありました。

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ホオの木は下駄の歯に使われます。
花が開くと、大きなものは30cmくらいにもなり、
よい香りがします。
ホオの木には殺菌作用があるそうです。

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さらに歩くと、土塁の内側に増長天礎石群が姿を現しました。

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4棟の高床建物跡(倉庫)が一列に並んで残っています。
傾斜地を利用しているため、石垣を作り、
上段と下段に2棟ずつ建てています。

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ラベル:四王寺
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2008年06月19日

四王寺山めぐり その4 第29番札所

四王寺山の土塁線上には
四王寺33ヶ所石仏が点在しています。
1800年に西国観音霊場の霊土が埋められ、
33体の石仏が祀られました。

坂本口門礎から登ってきて右折したあたりにあるのが
第29番札所です。

29ban.jpg

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2008年06月18日

四王寺山めぐり その3 大石垣

四王寺山の土塁の上から大石垣が見えるところがあります。
大石垣とは百間石垣に次いで、
大野城跡で2番目に大きな、全長64メートル、高さ約8mの石垣です。

実は大石垣は2003年7月19日の集中豪雨で甚大な被害を受けてしまいました。
このとき四王寺山中の崩壊か所は500か所を越えたということです。
大石垣は半分近い約30メートルが土砂に覆われたり、
石垣が崩れ落ちたりして、
惨憺たる有様になってしまったのです。
でも! その後の復旧工事で、
大石垣はちゃんとちゃんと、修復されています!

四王寺山に登るルートとして、
坂本から大石垣を通るルートがあるのですが、
このルートはまだ復旧工事が完成していないため、
通行止めになっています。

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これは土塁から大石垣へ行く道。
通行止めです。
道の左に治水のために水の通り道がつけられています。

土塁から覗いて見ると、
大石垣が東へ伸びている姿が遠くに見えました。
道が開通したら、ぜひ間近に見てみたいものです。

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この写真では分かりづらいのですが、
中央の3本の木の右手に平行して伸びているのが大石垣です。

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土塁からは都府楼跡が俯瞰できます。

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