
四王寺山を見上げると、右手にぽっこりしたところがあります。
行ってみたいと長年思いつつ、
このたびやっとその思いを遂げました。


ここは戦国時代の山城、岩屋城跡なのです。
太宰府の方なら一度は目にしたことがあるに違いない
「嗚呼壮烈岩屋城址」という文字が書かれた碑があります。


碑の裏はこうなってます。

石工の名前も彫られています。
ここは戦国時代の戦いの跡。
高橋紹運(じょううん)が島津勢を相手に壮絶な戦いを繰り広げました。
戦国時代末期、九州では豊後の大友、薩摩の島津、肥前の龍造寺がしのぎを削っていました。
高橋紹運理は元亀元年(1570)大友宗麟の命を受け太宰府の宝満城と岩屋城の城督に着任します。
豊臣秀吉は島津に戦闘の停止を命じますが島津はこれを拒否。
岩屋城の攻略を企て、高橋紹運は岩屋城で迎え撃ちます。
天正14年(1586)、島津は攻撃を開始。そのときの島津軍は4万とも5万とも伝えられています。
一方岩屋城の高橋側はわずか760余人で防戦したのです。
14日間にわたり岩屋城を死守した紹運も薩摩の大軍の前に力尽き、
激戦の末、全員が城を枕に討ち死にしたそうです。
このとき紹運、弱冠37歳。
島津方の死者を合わせると、
ここでどれだけの人たちが命を落としたのでしょう。
そんな歴史を持つ山でもあるのです。


岩屋城址から眺める都府楼跡は土塁上から眺めるよりも近く、
最高です!
今の平和をかみしめつつ眺めたくなる場所です。
(※参考 西都 太宰府)
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こんなダストボックスだと、置いておくのもいいなあ。
posted by Rino(ニックネーム) at 23:15| 福岡 ☁|
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●四王寺山
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