御自作天満宮の左手から天拝山に登る道は
「天神さまの径」と名付けられています。

天拝山社まで1025m。

約100メートル間隔で道真公の歌碑11基が建てられています。
筑紫野市商工会、観光協会が中心となって1997年に完成。
起点の和歌は有名な
「東風(こち)ふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」(拾遺集)

1合目から頂上までは太宰府謫居に詠んだ歌で「聖廟御集」に収まれている21首のうちの10首です。
1合目
「谷深み 春の光の おそければ 雪につつめる 鶯の声」(新古今集)
谷が深く春の光の訪れも遅いので、うぐいすの声も雪に包まれている。

2合目
「夕されば 野にも山にも 立つけぶり なげきよりこそ 燃えはじめけれ」(大鏡)
夕方になると、野にも山にも煙がたちのぼる。私の嘆き(投げ木)で燃え始める。
3合目
「天の下 かはけるほどの なければや 着して濡衣 ひるよしもなき」(大鏡・拾遺集)
天の下に乾いているところがないからか、無実の濡れ衣も乾かしようがない。
4合目
「つくしにも 紫生ふる 野辺はあれど なき名悲しむ 人ぞ聞えぬ」(新古今集)
筑紫にも紫草の生えている野辺はあるけれど、私の名を悲しんでくれる人のことは耳に入らない。
5合目
「足曳きの あなたこなたに 道はあれど 都へいざといふ 人ぞなき」(新古今集)
あちらにもこちらにも道はあるけれど、都へ行こうと言ってくれる人はいない。
6合目
「刈萱の 関守にのみ 見えつるは 人もゆるさぬ 道べなりけり」(新古今集)
誰もが刈萱の関守りにしか見えないのは、どの人も許さぬような道だったからだ。
7合目
「草場には 玉と見えつつ 侘び人の 袖のなみだの 秋の白露」(新古今集)
草の葉であったら玉に見えても、世をはかなんで暮らす人の袖では涙だ。秋の白露は。
8合目
「かりがねの 秋なくことは ことわりぞ 帰るはるさえ なにか悲しき」(後撰集)
雁が秋に鳴くのはもっともだ。ふるさとに帰る春になっても鳴いているのは何が悲しいのだろうか。
9合目
「道の辺の 朽木の柳 春くれば あはれと昔と 忍ばれぞする」(新古今集)
道の辺の朽ち木の柳は春が来れば、昔はさぞ美しかったのであろうとしのばれる。
頂 上
「天つ星 道も宿りも ありながら 空にうきても 思ほゆるかな」(拾遺集)
天の星のように道も宿もありながら、空に浮かんでいるかのように思えるよ。
無実の罪をきせらて謫居する自らの境遇を重ね合わせた哀しい歌ばかりです。
posted by Rino(ニックネーム) at 14:28| 福岡 ☀|
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●太宰府市外
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