2017年02月21日

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑 F山上憶良 日本挽歌(長歌)

メモリアルパーク太宰府悠久の丘に設置されている万葉歌碑を紹介してきましたが、
ここにあるのは旅人の「世の中は 空しきもと 知る時し いよよますます 悲しかりけり」の他は
憶良のこの長歌とそれに添えられた反歌5首です。

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最後にご紹介するのがこの長歌。

「大君(おおきみ)の 遠の朝廷(みかど)と しらぬひ  筑紫(つくし)の国に 泣く子なす 慕ひ来まして 息をだに いまだ休めず 年月(としつき)も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間(あいだ)に うちなびき 臥(こや)やしぬれ 言はむ術(すべ) せむ術(すべ)知らに 石木(いわき)をも 問ひ放(さ)け知らず 家ならば かたちはあらむを 恨しき 妹(いも)の命(みこと)の 我(あれ)をばも いかにせよとか にほ鳥(どり)の 二人並び居(い) 語らひし 心そむきて 家離(さか)りいます」

万葉集巻五・七九四 山上憶良

旅人の妻、大伴女郎(おおとものいらつめ)の死に対して憶良が贈った歌。
大伴郎女は大宰師として筑紫に赴任した旅人と一緒に大宰府に来たものの、
間もなく病で亡くなります。
藤原家にとって邪魔な旅人は左遷されたともいわれています。
にほ鳥(鳰鳥)はカイツブリのこと。

(大君の遠い朝廷、筑紫の国に、
妻は泣く子のようにわたしを慕ってきた。
息も休める間もなく、年月も経っていないので、
心通わす時間もないうちに横になり、臥してしまった。
何か言うすべもなく、何かするすべもなく、
石や木に尋ねても分からない。
都の家にいたなら生きていただろうに恨めしい。
妻の命ををどうすればよかったのか。
カイツブリが仲良く並んでいるように語り合ったのに、
その心に背いて家を離れて逝ってしまった。)
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2017年02月19日

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑 E山上憶良「愛しきよ」

「愛(は)しきよし かくのみからに 慕ひ来し 妹が心の すべもすべなさ」
万葉集巻五・七九六 山上憶良

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑 E山上憶良「愛しきよ」 - コピー.JPG

旅人の妻の死を悼んで憶良が贈った長歌に添えられた反歌の一つ。
大宰府に赴任する旅人に伴ってきた正妻の大伴郎女(おおとものいらつめ)。
でも旅の疲れからか、すぐに大宰府で亡くなります。
その妻の心を思っての歌です。

(愛しい妻よ。まるで死ぬためについてきたもののようなのに、
わたしを慕って一緒に来たその心を思うと、やりきれないよ)
posted by 理乃(ニックネーム) at 13:56| 福岡 ☀| Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月16日

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑 D山上憶良「家に行きて」

「家に行きて 如何にか吾(あ)がせむ 枕づく 妻屋(つまや)さぶしく 思ほゆべしも」
万葉集巻五・七九五 山上憶良

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(家に帰って、私はどうすればいいのだろう。
枕を共にした妻の家は寂しく思われるだろう。)

この歌も旅人の妻の死に対して山上憶良が贈った長歌に付けられた反歌の一つ。

妻が亡くなったあと、家に帰って、何をすればいいんだろう。
妻と一緒に寝た家は、今となっては寂しく思うばかりだという心情。
それも遠い赴任先での出来事だからなおさら。
posted by 理乃(ニックネーム) at 22:41| 福岡 ☀| Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑C山上憶良「悔やしかも〜」

「久夜斯可母可久斯良摩世婆阿乎尓与斯久奴知許等其等美世摩斯母乃乎」

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑4憶良悔しかも - コピー.JPG

悔(くや)しかも かく知らませば あをによし 国内(くぬち)ことごと 見せましものを 

万葉集巻五・七九七 山上憶良

これも憶良が旅人の気持ちになって詠んだ歌。

(なんて悔しいんだ。君がこんなことになると分かっていたら、大和の国をすべて見せてやりたかったのに)

万葉仮名で書かれています。
一字一字、字が異なるのは太宰府万葉会の方が一人一文字ずつ揮毫しているからのようです。
posted by 理乃(ニックネーム) at 01:10| 福岡 | Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月14日

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑B 山上憶良「妹が見し〜」

悠久の丘には全部で7つの歌碑があります。
一つが妻を亡くした旅人の歌で、その他は旅人の気持ちを代弁するかたちで
憶良が歌ったものです。

神亀5年(728年)。
憶良が筑前国守として赴任して一年余り後、大宰府の師(長官)としてやってきた旅人。
二年後の天平二年(730)、大納言となって都へと帰ります。
二人はその間、歌を通して心の交流をしたのです。

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑3憶良妹が見し - コピー.JPG

「妹が見し 楝の花は 散りぬべし 吾が泣く涙 いまだ干なくに」
万葉集巻五・七九八 山上憶良
妻が見た楝の花は散ってしまう。私の涙はまだ乾かないのに。
posted by 理乃(ニックネーム) at 14:08| 福岡 ☁| Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月13日

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑A 山上憶良「大野山〜」

太宰府市民遺産第12号の「太宰府悠久の丘―メモリアルパークからの眺望―」。
ここに建てられている万葉歌碑を紹介しています。

「大野山 霧立ち渡る 我が嘆く 息嘯の風に 霧立ちわたる」
万葉集巻五・七九九 山上憶良

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑2憶良大野山霧立ちわたる - コピー.JPG

大野山に霧が立ち渡っている。
私の嘆きの吐息の風で
霧が立ち渡っている。

同じ句が国分の天満神社にもあります。
雨が降ると霧が立ち込める四王寺山。
その景観は万葉の時代から変わることはないのでしょう。
posted by 理乃(ニックネーム) at 00:55| 福岡 ☀| Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月19日

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑@旅人「世の中は〜」

今年決まった太宰府市民遺産第12号は「太宰府悠久の丘
―メモリアルパークからの眺望―」。
ここに万葉歌碑が建てられています。
これまでにある歌碑とかぶっているので、
どうして?と思ったのですが、ここは墓地。
死者を哀惜する歌が選ばれていたのですね。
ここに建つ歌碑は7つ。
一つが旅人のものでほかは山上憶良のもの。
大宰府に大宰師として赴任した大伴旅人は
正妻大伴郎女と子どもたち(大伴郎女の子ではない)を連れていました。
でも大伴郎女は旅の疲れもあったのか急逝してしまいます。
旅人は悲しみの歌「凶問報歌」を詠みました。
残りの碑は山上憶良が旅人に成り代わって詠んだ歌、「日本挽歌」です。
では旅人の「凶問報歌」から。

『世の中は 空(むな)しきものと 知る時し いよよますます かなしかりけり』

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〜世の中はむなしいものだと知るとき、ますます悲しくなってしまうよ〜

かけがえのない妻だったのでしょうね。
この句は太宰府政庁の裏手にもあります。
posted by 理乃(ニックネーム) at 15:23| 福岡 ☀| Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月25日

旅人さんはお酒好き

今日はお酒を愛した旅人さんの一面を。。。

太宰府のとある場所にある万葉碑から一首。

「古への 七の賢しき人たちも 欲りせし物は 酒にしあるらし」

《むかしむかしの竹林の七賢人たちも、欲したものはお酒だったらしいね》

お酒大好き〜の碑がなぜここにあるか、ちょっと笑っちゃうけどね。

さて、旅人さんはお酒好き。
ほかにも万葉集にはこんな歌が。

「言はむすべ 為むすべ知らず 極りて 貴たふとき物は 酒にしあるらし」

《なんと言っていいか分かんない。どうしていいか分かんない。とにかくすっごくいいのはお酒みたいだわ》

「中々に 人とあらずは 酒壺に なりてしかも 酒に染しみなむ」

《なまじ人間でいるよりも、いっそ酒壺になりたいわ。いつもお酒に浸っていられるもの》

そこまで好きなの? まったくぅ!

「夜光る 玉といふとも 酒飲みて 心を遣やるに 豈あにしかめやも」

《暗い夜に光るきれいな宝石だって、お酒を飲んで気晴らしするのにかなうはずがないわ》

「よのなかの 遊びの道に 楽しきは 酔ひ泣きするに あるべかるらし」

《世の中の遊びの中で一番楽しいのは、お酒に酔って泣くことに決まってるでしょ》

太宰府、酒処「旅人の酒壺」なんてのもあってもいいかも(笑)

※《  》の中は読み流してください(笑)
posted by 理乃(ニックネーム) at 10:33| 福岡 ☀| Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

秋にぴったりの万葉歌碑

太宰府には万葉歌碑がたくさんあります。

わりと最近できたのがこれ。
しかも、この歌碑は今からの季節にぴったり。

秋の七草の歌碑なんです。
山上憶良が詠んだ歌です。

場所は落合公園。
位置的にこんな感じ。

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秋野尓(あきののに) 咲有花乎(さきたるはなを)
指折(およびをり) 可伎数者(かきかぞふれば) 七種花(ななくさのはな)

「秋の野に 咲きたる花を
指折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」(万葉集巻八 一五三七)

《秋の野に咲いてる花を
指を折って数えてみたら、
七種類の花があります》

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芽之花(はぎのはな) 尾花葛花(をばなくずはな) 瞿麦之花(なでしこがはな)
姫部志(をみなへし) 又藤袴(またふぢはかま) 朝●之花(あさがほがはな)

萩の花 尾花葛花(をばなくずはな) なでしこが花
をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔が花

《萩の花、尾花、葛の花、
なでしこの花、女郎花(おみなえし)、
そして、藤袴、朝顔の花》

秋の七草は、この山上憶良の歌が由来となっているそうです。
春の七草は食用の植物ですが、
秋の七草は薬草・香草・観賞用の植物といえるとのこと。
 ※参考/解説パネル

 

もうじき、秋のお散歩がすてきになる太宰府。。。
どうぞ、太宰府の秋を探しにきてください。。。
むかし、むかし、憶良さんが歩いた太宰府の秋を。。。
posted by 理乃(ニックネーム) at 22:12| 福岡 ☔| Comment(2) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月25日

万葉歌碑 その3 天満神社の山上憶良

万葉歌碑、その3です。

国分寺前の天満神社にある山上憶良の歌碑です。

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大野山 霧立ち渡る わが嘆く 息嘯(おきそ)の風に 霧立ちわたる

訳:
大野山に霧が立ち渡っている
私が亡き妻を想って吐く深い深い溜息で
霧が立ちわたっている。

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(※クリックすると大きくなります)

大宰帥として赴任した大友旅人は着任後、
まもなく妻の大友郎女(おおとものいつらめ)を亡くします。
当時、筑前守として赴任していた山上億良は728年に
旅人にこの歌を奉りました。

大野山は霧がかかるときの姿が一番好きです。

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posted by 理乃(ニックネーム) at 22:15| 福岡 ☁| Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月22日

万葉歌碑 その2 坂本八幡宮の大伴旅人

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(※クリックすると大きくなります)

わが岡(おか)に さ男鹿(おしか)来(き)鳴く
初萩の 花嬬(つま)問ひに 来鳴くさ男鹿

大伴旅人


私の住む岡に牡鹿が来て鳴いている。
今年初めての萩の花が咲き、
牡鹿がやってきて妻問いをしていることよ

坂本八幡宮のあたりは
大宰帥(だざいそち)としてやってきた大伴旅人の
屋敷跡と伝えられています。
旅人邸は万葉集の華、梅香の宴が開かれた場所です。

旅人は大宰府に赴任してすぐに妻を亡くしています。

萩の花が咲く大宰府の岡、
牡鹿が雌鹿を求めて鳴いています。
その声に亡き妻を思う気持ちを重ねる旅人です。

旅人のように亡き人を思うとき、
そして恋人を慕うとき、
この歌はあなたのそばに近づいてくるのではないでしょうか?

坂本八幡宮にお立ち寄りの際は
この歌碑にも目をとめてください。





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posted by 理乃(ニックネーム) at 22:56| 福岡 ☔| Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

万葉歌碑 その1 観世音寺の沙弥満誓

昨晩、10時過ぎ。
太宰府の水田のそばを車で通り抜けました。
水が張られた水田。
これこそ日本の原風景。
心落ち着く風景です。
今の時分、夜、そばを通ると
聞こえるのは蛙の鳴き声…。
車の窓を全開にして、
夜風に吹かれながら道を飛ばすのは快適です。
追いかけるように蛙の鳴き声が…。
昔は夜の外出は怖かったけど、
今は車があるおかげで
夜の外出は快適。
それも、この時期の夜風が
たまらなく好きです。

さあ、今晩は新しいシリーズを開始します。
太宰府歩きをしていたら目に留まる万葉歌碑。
その第1回目です。

今回は観世音寺の沙弥満誓(しゃみまんせい) の
万葉歌碑をご紹介します。

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沙弥満誓は723年(養老7年)、「造観世音寺別当」に任ぜられて太宰府に赴任し、観世音寺の造営にあたりました。
出家前の名前は笠朝臣麻呂(かさのあそみまろ)。
太宰府に来る以前は美濃尾張の国守でした。

沙弥満誓が太宰府に赴任する前にうたった歌が歌碑に刻まれています。

「しらぬひ筑紫の綿は身につけて いまだは着ねど暖かに見ゆ」

筑紫の綿は、まだ身につけて着てはいないけれど、
暖かそうに見える。

綿は当時、筑紫、九州の特産物でした。

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(※クリックすると大きくなります)

posted by 理乃(ニックネーム) at 00:30| 福岡 ☀| Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする