2022年02月10日

太宰府メモリアルパーク太宰府悠久の歌碑群〜四条隆謌歌碑

幕末、七卿落ちで、五卿が太宰府天満宮に滞在したうちの一人、四条隆謌(たかうた)。

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「青山白水映紅楓 楽夫天命復何疑」

青い山、澄んだ水に映える紅葉。
天命を受け入れ楽しめば何の疑いもない。

この漢詩の碑は天拝公園池上池のそばにもあります
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2022年02月08日

太宰府メモリアルパーク 太宰府悠久の歌碑群〜黒田如水歌碑

黒田如水 - コピー.jpg

「松梅や 末長かれと 緑立つ 山よりつづく 里は福岡」

晩年の如水は太宰府に住み、
連歌師の木山紹印(きやまじょういん)を迎えて、
天満宮の神職や家臣らと連歌会を催したといいます。
福岡という地名が使われたのはこの句が初めてだそうです。
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2022年02月06日

太宰府メモリアルパーク太宰府悠久の歌碑群〜足利尊氏

「この頃は 咲ける咲かざる おしなべて 
梅が香ならぬ 春風もなし」
〜この頃は、花の咲いてても咲いてなくても
どこでも梅の香りのしない春風はない〜

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太宰府と関わりの深い足利尊氏。
室町幕府を開く前に原山に身を寄せ、
再起を図ったといわれています。
まさに梅の香が漂い出す季節。
梅の花のもとへ香りに誘われ出かけたいものです。
ラベル:足利尊氏
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2021年09月25日

太宰府悠久の歌碑群@菅原道真

太宰府メモリアルパークの太宰府の丘展望台には万葉碑のほか、
太宰府所縁の人々の歌碑が4基置かれています。

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1つ目は菅原道真公の歌。

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「苅萱の関守にのみ見えつるは人も許さぬ道辺なりけり」(新古今和歌集)
(誰もが刈萱の関守に見えたのは配流の道辺だったからなのだ」
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2021年04月12日

万葉歌碑@国分小学校

太宰府市が発行している「太宰府万葉歌碑めぐり」には
市内に点在する44の万葉歌碑が掲載されています。

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最も美しい歌だと思われる梅花の宴で旅人が詠んだ
「我が園に 梅の花散る 久方の 天より雪の 流れ来るかも」は
九博のエレベーター横と太宰府メモリアルパークの2カ所が掲載されています。
市内の万葉歌碑はすべて掲載されているわけではなく、
国分小学校にも旅人の歌碑はあります。

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卒業生が寄贈したものです。

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2020年04月20日

山上憶良万葉歌碑@千足町公園

国分の千足町公園には山上憶良の万葉歌碑があります。

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「銀も 金も玉も なにせむに まされる宝 子にしかめやも」。

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遊具もある公園にふさわしい歌。

国分に万葉歌碑は4ヶ所。
この歌碑は存在も知りませんでした。
知ったのは太宰府文化遺産調査ボランティア国分小学校区班作成の
「国分・水城地区の文化遺産」の冊子(2020年3月発行)によります。

市民による詳細な調査に感嘆しました。
末永く活用させていただきたいと思います。
感謝感激!
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2019年07月18日

2019.6.4 筑紫万葉の故地をたずねてI都府楼跡東側の万葉歌碑

ラスト、都府楼跡東側(大宰府展示館横)の万葉歌碑です。

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「あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は
咲く花の  薫ふがごとく 今さかりなり」
(小野老)

〜奈良の都は咲く花が香るように今盛りだ〜

小野老(をののおゆ)は大宰少弐でした。
大宰少弐は大宰帥の下の大弐の次官。
旅人の部下となります。
神亀5年(728年)4月頃大宰少弐として大宰府に赴任したのち、
小野老は10月頃大宰府の実情を朝廷に報告する朝集使として
平城京に赴き報告し、
その後も神亀6年(729年)3月頃まで
平城京に留まっていました。
小野老が平城京にいる間の神亀6年(729年)2月11日に起こったのが
長屋王の変。
長屋王の変後の3月4日の叙位では
藤原氏サイドの官人が多く昇進し、
小野老も従五位上に昇進しています。
のちに大宰大弐にもなっています。
藤原四兄弟が幅を効かせていた平城京を讃える歌だとしたら、
長屋王サイドだった旅人と
は、裏で確執があったのかも・・・。
梅花の宴もそういう政治上の立場といった目線で見ると、
また違った見え方をしてきます。

ちなみに梅花の宴では小野老は以下の歌を詠っています。

「梅の花 今咲ける如(ごと) 散り過ぎず
わが家(へ)の園(その)に ありこせぬかも」

〜梅の花は今咲いているように、散り過ぎず、わが家の庭にも咲いてほしい〜

この歌は大弐紀卿の次に詠まれています。
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2019.6.4 筑紫万葉の故地をたずねてH都府楼跡北側の万葉歌碑

都府楼跡北側の万葉歌碑です。

「世間(よのなか)は 空(むな)しきものと 知る時し
いよよますます 悲しかりけり」
(大伴旅人)
〜世の中は空しいものだと思い知ったとき、
いよいよますます悲しいものだ〜

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この歌は万葉集巻五の冒頭に置かれています。
万葉集を編纂した旅人の息子、家持も、
この歌に思い入れがあったのでしょう。

大伴家は代々武門の名家。
養老4年(720年)、旅人は隼人の反乱を鎮圧するために
征隼人持節大将軍に選ばれ、
隼人征討に南九州にやってきました。
隼人側は数千人の兵が集まり、
7ヶ所の城に立て籠もりました。
朝廷側は九州各地から1万人以上の兵を集めて
戦ったといいます。
大宰府では赴任後まもねく妻を亡くし、
729年には長屋王の変も起こり、
心中は空しさでいっぱいだったことでしょう。
そんな中で生まれた歌でした。
揮毫は奈良女子大学名誉教授の坂本 信幸氏。

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ラベル:大伴旅人
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筑紫万葉の故地をたずねてG坂本八幡神社の万葉歌碑

令和で最も人が押し寄せている坂本八幡神社の万葉歌碑です。

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「わが岡(をか)に さ男鹿(をしか)来鳴く
初萩(はつはぎ)の 花嬬(はなづま)問ひに
 来鳴くさ男鹿」
(太宰師大伴旅人)
〜わが家の岡に男鹿が来て鳴いている。
初萩に妻を求めてやって来て鳴く男鹿よ〜
梅花の宴は大伴旅人邸で行われました。
その場所は定かではありませんが、
旅人がこの歌に我家は岡にあると詠っているため、
少し岡になっている坂本八幡神社一帯が
旅人邸の候補地に上がっています。
大宰府に赴任してすぐに妻を亡くした旅人。
牝鹿を探して鳴く牡鹿に
自身の姿を重ね合わせて読んだ歌なのでしょう。
このあたりは昭和47年、61年、62年に発掘調査が行われ、
掘立柱建物跡や鍛冶工房の跡を示すような出土物が出ましたが、
大規模な建物跡などはまだ見つかっていません。
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2019年07月17日

筑紫万葉の故地をたずねてE九州国立博物館の万葉歌碑

九州国立博物の駐車場側に万葉碑があります。

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「ここにありて 筑紫(つくし)やいづち
白雲のたなびく 山の方(かた)にし あるらし」
(大伴旅人)
~ここ奈良の都にいて、筑紫はどこなのだろう。
白雲のたなびく山の方にあるらしい〜

この歌は沙弥満誓が旅人に贈った歌に、
奈良に戻った旅人が応えたもの。
歌碑は平成17年に九州国立博物館ができる前の
昭和59年に建てられています。
福岡地区11ロータリークラブの寄贈を受けて、
財団法人古都大宰府を守る会(現在の古都大宰府保存協会)が
建てました。

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元は九博の駐車場の場所にあった
九州歴史資料館内に建てられました。
田村圓澄館長が愛された歌だったそうです。
その後、九州歴史資料館は小郡に移転。
歌碑は九州国立博物館に置かれることとなったのです。
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筑紫万葉の故地をたずねてD太宰府天満宮の万葉歌碑

太宰府天満宮の菖蒲池の傍らに背の高い万葉碑があります。

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令和で話題の大宰師大伴旅人邸で開かれた
梅花の宴(730年)で詠まれた三十二首の歌のうちの一つで、
第二集団の最後の歌になります。

「万代(よろづよ)に 年は来経(きふ)とも 梅の花
絶ゆることなく 咲きわたるべし」

(筑前介佐氏子首 ちくぜんのすけさしのこおびと)

〜千万(ちよろず)ののちまで年が来ては過ぎゆこうとも、
梅の花は絶えることなく、咲き続けるだろう〜

筑前介とは、筑前守の次官。
筑前守だった山上憶良の下で働いていた方なのですね。
二人は大宰府でいったいどんな会話をしていたのだろう、と思います。

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太宰府天満宮菖蒲池

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カシワバアジサイ

※筑紫万葉の故地をたずねて@〜Cは「理乃の福岡便り」に掲載。
posted by Rino(ニックネーム) at 18:25| 福岡 ☁| Comment(0) | ★歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月21日

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑 F山上憶良 日本挽歌(長歌)

メモリアルパーク太宰府悠久の丘に設置されている万葉歌碑を紹介してきましたが、
ここにあるのは旅人の「世の中は 空しきもと 知る時し いよよますます 悲しかりけり」の他は
憶良のこの長歌とそれに添えられた反歌5首です。

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最後にご紹介するのがこの長歌。

「大君(おおきみ)の 遠の朝廷(みかど)と しらぬひ  筑紫(つくし)の国に 泣く子なす 慕ひ来まして 息をだに いまだ休めず 年月(としつき)も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間(あいだ)に うちなびき 臥(こや)やしぬれ 言はむ術(すべ) せむ術(すべ)知らに 石木(いわき)をも 問ひ放(さ)け知らず 家ならば かたちはあらむを 恨しき 妹(いも)の命(みこと)の 我(あれ)をばも いかにせよとか にほ鳥(どり)の 二人並び居(い) 語らひし 心そむきて 家離(さか)りいます」

万葉集巻五・七九四 山上憶良

旅人の妻、大伴女郎(おおとものいらつめ)の死に対して憶良が贈った歌。
大伴郎女は大宰師として筑紫に赴任した旅人と一緒に大宰府に来たものの、
間もなく病で亡くなります。
藤原家にとって邪魔な旅人は左遷されたともいわれています。
にほ鳥(鳰鳥)はカイツブリのこと。

(大君の遠い朝廷、筑紫の国に、
妻は泣く子のようにわたしを慕ってきた。
息も休める間もなく、年月も経っていないので、
心通わす時間もないうちに横になり、臥してしまった。
何か言うすべもなく、何かするすべもなく、
石や木に尋ねても分からない。
都の家にいたなら生きていただろうに恨めしい。
妻の命ををどうすればよかったのか。
カイツブリが仲良く並んでいるように語り合ったのに、
その心に背いて家を離れて逝ってしまった。)
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2017年02月19日

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑 E山上憶良「愛しきよ」

「愛(は)しきよし かくのみからに 慕ひ来し 妹が心の すべもすべなさ」
万葉集巻五・七九六 山上憶良

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旅人の妻の死を悼んで憶良が贈った長歌に添えられた反歌の一つ。
大宰府に赴任する旅人に伴ってきた正妻の大伴郎女(おおとものいらつめ)。
でも旅の疲れからか、すぐに大宰府で亡くなります。
その妻の心を思っての歌です。

(愛しい妻よ。まるで死ぬためについてきたもののようなのに、
わたしを慕って一緒に来たその心を思うと、やりきれないよ)
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2017年02月16日

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑 D山上憶良「家に行きて」

「家に行きて 如何にか吾(あ)がせむ 枕づく 妻屋(つまや)さぶしく 思ほゆべしも」
万葉集巻五・七九五 山上憶良

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(家に帰って、私はどうすればいいのだろう。
枕を共にした妻の家は寂しく思われるだろう。)

この歌も旅人の妻の死に対して山上憶良が贈った長歌に付けられた反歌の一つ。

妻が亡くなったあと、家に帰って、何をすればいいんだろう。
妻と一緒に寝た家は、今となっては寂しく思うばかりだという心情。
それも遠い赴任先での出来事だからなおさら。
posted by Rino(ニックネーム) at 22:41| 福岡 ☀| Comment(0) | ★歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑C山上憶良「悔やしかも〜」

「久夜斯可母可久斯良摩世婆阿乎尓与斯久奴知許等其等美世摩斯母乃乎」

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悔(くや)しかも かく知らませば あをによし 国内(くぬち)ことごと 見せましものを 

万葉集巻五・七九七 山上憶良

これも憶良が旅人の気持ちになって詠んだ歌。

(なんて悔しいんだ。君がこんなことになると分かっていたら、大和の国をすべて見せてやりたかったのに)

万葉仮名で書かれています。
一字一字、字が異なるのは太宰府万葉会の方が一人一文字ずつ揮毫しているからのようです。
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2017年02月14日

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑B 山上憶良「妹が見し〜」

悠久の丘には全部で7つの歌碑があります。
一つが妻を亡くした旅人の歌で、その他は旅人の気持ちを代弁するかたちで
憶良が歌ったものです。

神亀5年(728年)。
憶良が筑前国守として赴任して一年余り後、大宰府の師(長官)としてやってきた旅人。
二年後の天平二年(730)、大納言となって都へと帰ります。
二人はその間、歌を通して心の交流をしたのです。

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「妹が見し 楝の花は 散りぬべし 吾が泣く涙 いまだ干なくに」
万葉集巻五・七九八 山上憶良
妻が見た楝の花は散ってしまう。私の涙はまだ乾かないのに。
posted by Rino(ニックネーム) at 14:08| 福岡 ☁| Comment(0) | ★歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月13日

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑A 山上憶良「大野山〜」

太宰府市民遺産第12号の「太宰府悠久の丘―メモリアルパークからの眺望―」。
ここに建てられている万葉歌碑を紹介しています。

「大野山 霧立ち渡る 我が嘆く 息嘯の風に 霧立ちわたる」
万葉集巻五・七九九 山上憶良

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大野山に霧が立ち渡っている。
私の嘆きの吐息の風で
霧が立ち渡っている。

同じ句が国分の天満神社にもあります。
雨が降ると霧が立ち込める四王寺山。
その景観は万葉の時代から変わることはないのでしょう。
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2016年08月19日

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑@旅人「世の中は〜」

今年決まった太宰府市民遺産第12号は「太宰府悠久の丘
―メモリアルパークからの眺望―」。
ここに万葉歌碑が建てられています。
これまでにある歌碑とかぶっているので、
どうして?と思ったのですが、ここは墓地。
死者を哀惜する歌が選ばれていたのですね。
ここに建つ歌碑は7つ。
一つが旅人のものでほかは山上憶良のもの。
大宰府に大宰師として赴任した大伴旅人は
正妻大伴郎女と子どもたち(大伴郎女の子ではない)を連れていました。
でも大伴郎女は旅の疲れもあったのか急逝してしまいます。
旅人は悲しみの歌「凶問報歌」を詠みました。
残りの碑は山上憶良が旅人に成り代わって詠んだ歌、「日本挽歌」です。
では旅人の「凶問報歌」から。

『世の中は 空(むな)しきものと 知る時し いよよますます かなしかりけり』

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〜世の中はむなしいものだと知るとき、ますます悲しくなってしまうよ〜

かけがえのない妻だったのでしょうね。
この句は太宰府政庁の裏手にもあります。
posted by Rino(ニックネーム) at 15:23| 福岡 ☀| Comment(0) | ★歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月25日

旅人さんはお酒好き

今日はお酒を愛した旅人さんの一面を。。。

太宰府のとある場所にある万葉碑から一首。

「古への 七の賢しき人たちも 欲りせし物は 酒にしあるらし」

《むかしむかしの竹林の七賢人たちも、欲したものはお酒だったらしいね》

お酒大好き〜の碑がなぜここにあるか、ちょっと笑っちゃうけどね。

さて、旅人さんはお酒好き。
ほかにも万葉集にはこんな歌が。

「言はむすべ 為むすべ知らず 極りて 貴たふとき物は 酒にしあるらし」

《なんと言っていいか分かんない。どうしていいか分かんない。とにかくすっごくいいのはお酒みたいだわ》

「中々に 人とあらずは 酒壺に なりてしかも 酒に染しみなむ」

《なまじ人間でいるよりも、いっそ酒壺になりたいわ。いつもお酒に浸っていられるもの》

そこまで好きなの? まったくぅ!

「夜光る 玉といふとも 酒飲みて 心を遣やるに 豈あにしかめやも」

《暗い夜に光るきれいな宝石だって、お酒を飲んで気晴らしするのにかなうはずがないわ》

「よのなかの 遊びの道に 楽しきは 酔ひ泣きするに あるべかるらし」

《世の中の遊びの中で一番楽しいのは、お酒に酔って泣くことに決まってるでしょ》

太宰府、酒処「旅人の酒壺」なんてのもあってもいいかも(笑)

※《  》の中は読み流してください(笑)
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2011年09月01日

秋にぴったりの万葉歌碑

太宰府には万葉歌碑がたくさんあります。

わりと最近できたのがこれ。
しかも、この歌碑は今からの季節にぴったり。

秋の七草の歌碑なんです。
山上憶良が詠んだ歌です。

場所は落合公園。
位置的にこんな感じ。

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秋野尓(あきののに) 咲有花乎(さきたるはなを)
指折(およびをり) 可伎数者(かきかぞふれば) 七種花(ななくさのはな)

「秋の野に 咲きたる花を
指折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」(万葉集巻八 一五三七)

《秋の野に咲いてる花を
指を折って数えてみたら、
七種類の花があります》

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芽之花(はぎのはな) 尾花葛花(をばなくずはな) 瞿麦之花(なでしこがはな)
姫部志(をみなへし) 又藤袴(またふぢはかま) 朝●之花(あさがほがはな)

萩の花 尾花葛花(をばなくずはな) なでしこが花
をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔が花

《萩の花、尾花、葛の花、
なでしこの花、女郎花(おみなえし)、
そして、藤袴、朝顔の花》

秋の七草は、この山上憶良の歌が由来となっているそうです。
春の七草は食用の植物ですが、
秋の七草は薬草・香草・観賞用の植物といえるとのこと。
 ※参考/解説パネル

 

もうじき、秋のお散歩がすてきになる太宰府。。。
どうぞ、太宰府の秋を探しにきてください。。。
むかし、むかし、憶良さんが歩いた太宰府の秋を。。。
posted by Rino(ニックネーム) at 22:12| 福岡 ☔| Comment(2) | ★歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする