2014年04月01日

げに麗しきかな桜花 2014大野城跡篇

昨日も今日もお天気に恵まれ、
お花見を楽しむ人たちが散策しています。

では昨日行ってきた大野城跡の桜をアップします。
太宰府の背後の山、四王寺。
浦之城橋(うらのじょうばし)から四王寺林道に入っていきます。
この林道は両側に桜の木が植えられた桜の道。
桜吹雪が舞う道を上っていきます。

途中に岩屋城の案内板があるのでここでいったん車をとめて、
上っていきます。
このあたりの林道でわらび狩りをする人がいました。

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城があったくらいですから岩屋城跡からの眺めは絶景。
桜を見る場所としてもすてきすぎです。

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都府楼跡もすぐ下に見えます。

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今は平和なこの場所も戦国時代の天正14年(1586年)には
島津忠長率いる島津軍と大友軍の高橋紹運が壮絶な攻防戦(岩屋城の戦い)を繰り広げ
多数の死者を出したところ。

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林道を挟んだ反対側に降りていくと高橋紹運の墓もあるので
ぜひ一見しておきたいもの。

さあ、ここからさらに上を目指し、
焼き米ケ原へ向かいます。
ここはわたしの大好きな場所。
古代の土手が残り、奥には7世紀まで遡る大野城の米の倉庫の礎石が見られます。
ここでのピクニックは最高です。

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posted by Rino(ニックネーム) at 14:24| 福岡 ☀| Comment(0) | ●岩屋城跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月07日

岩屋城跡と高橋紹運公の墓の桜

4月4日、桜を見るために四王寺山に車を走らせたとき、
焼米ケ原に行く手前で寄ったところがあります。
それはわたしが太宰府でもかなり好きなところ。

「岩屋城跡」です。

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(※クリックすると大きくなります)

四王寺山の林道、焼米ケ原の手前にあります。
前後に4台くらい車をとめられるスペースがあるので
駐車して山道を歩きます。

岩屋城跡は戦国時代の山城跡。
ここに本丸がありました。
天正14年(1586年)、
島津軍と大友軍の高橋紹運公が壮絶な戦(岩屋城の戦い)を行った戦場です。
紹運公は高櫓に登って割腹し紹運以下763名全員が討死、自害して戦いは終わったといいます。

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それではここから登っていきましょう。
ごいっしょにどうぞ。

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開けてきました。

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なんていう眺めでしょう!
絶景です。
現代人のわたしは脳天気に景色を楽しんでいられますが、
500年前、高橋紹運公以下763人の武士たちは
眼下に結集した5万の薩摩軍を見て、
悲壮な思いに囚われていたことでしょう。

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都府楼跡も航空写真のようにすぐ下に見えます。

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これが「嗚呼壮烈岩屋城址」の碑です。

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昭和30年に建てられています。

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石工は太田三次郎さん。

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周囲の山の説明版がありますので左からパンします。
それぞれクリックすると大きくなります。
ここがどんなに見晴らしの良い場所かお分かりになると思います。

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九州国立博物館も見えています。
6月13日まで「パリに咲いた古伊万里の華」が開催されています。
(わたしは初日に見てきました)

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ここは岩屋山。標高281m。

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すぐ下に桜の木々に囲まれているのは
ここで討ち死にした武将、高橋紹運公の墓です。
死に際が潔かった高橋紹運の墓を守るのに
まさに桜の木は適しています。
すべてを思うとき、
桜の花は美しくも悲しすぎます。

★以下Wikipediaより。
 「島津軍諸将は紹運の武将としての器量を惜しみ、
  降伏勧告を何度も送ったが、
  紹運は『主家が盛んなる時は忠誠を誓い、
  主家が衰えたときは裏切る。
  そのような輩が多いが私は大恩を忘れ鞍替えすることは出来ぬ。
  恩を忘れることは鳥獣以下である』と敵味方が見守る中で言い切った。
  敵味方関係なく賞賛の声が上がったと言われている。
  落城後、攻め手の総大将だった島津忠長と諸将は、
  般若台にて高橋紹運の首実検に及ぶとき、
  『我々は類まれなる名将を殺してしまったものだ。
  紹運と友であったならば最良の友となれたろうに』
  と床几を離れ、地に正座し涙を流したと伝わっている」


さあ、それではもとの道に戻って、 
高橋紹運公のお墓へ行ってみませんか?
すぐ先にありますから。

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石垣に囲まれた高橋紹運公のお墓が見えてきました。

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高橋紹運公はここに眠っています。
先のWikipediaからの引用を読まれた方は、
ここにはからだだけが眠っているとお分かりですね。
首の方は下の場所に眠っています。

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二日市にあります。

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桜が咲いたら、 四王寺山に散った高橋紹運公はじめ
多くの武士たちのことを思い出してください。

posted by Rino(ニックネーム) at 22:13| 福岡 ☀| Comment(8) | ●岩屋城跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする