2020年08月06日

2020.7.30横岳崇福寺跡巡りF大応国師無縫塔

7月の終わりの横武崇福寺跡巡りのラストです。
行路を通り、階段を上ると崇福寺別院(昭和48年以降に再建)に出ます。
山門右手に道があるので上っていきます。

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本堂は塀越しに見ることができます。

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道を挟んで反対側にあるのが大応国師の無縫塔(分骨塔)。

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大応国師は崇福寺に30年以上滞在し、
寺を大きくした人物です。

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南へ下り、白川公民館の前の道を通って戻ることにします。
白川公民館の前の道を流れているのが白川。

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小さな川ですが、勢いよく水音を立てて流れていました。
道なりに進むと御笠川に出ますが、
ここで白川の水は御笠川に合流します。
残されたわずかな手がかりから
鎌倉時代の横岳崇福寺を想像するコアな太宰府巡りでした。
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2020年08月05日

2020.7.30横岳崇福寺跡巡りE行路

毘盧庵跡から住宅街を抜けて元の横岳八幡宮に戻ります。

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横岳八幡宮

途中にある駐車場にはかつて白蓮池という池があったようです。
瑞雲寺を正面に見て、右手の細い道を進みます。
だんだん鬱蒼としてきます。
ここが横岳山諸伽藍圖に描かれている行路のようです。

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行路

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横岳山諸伽藍圖

突き当たると、左に階段があるので上がります。
崇福寺別院の山門に行き当たりますが、
一般には閉ざされていて、入ることはできません。

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崇福寺別院

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2020年08月04日

横岳崇福寺跡巡りD毘盧庵跡

法堂跡から東観世公民館へ回り、
長松嶺の位置を確認したら、
観世音寺6丁目1の区画まで東に進みます。
丸石で囲われた一段高いところがあります。
そこが毘盧庵跡。

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横岳山諸伽藍圖では毘盧庵は長松嶺の麓にあるので、
場所を移されたもののようです。

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背の高い石碑が目立つのですぐ分かります。
石碑の表面には
「勅諡普済大聖禅師塔所 崇福寺毘盧庵跡」と刻まれています。
普済大聖禅師とは鎌倉〜南北朝時代に活躍した
筑前生まれの僧、可翁宗然(かおうそうねん)の諡号。
可翁宗然は元に渡り、帰国後崇福寺にやってきました。
のちに南禅寺に移り、
晩年は東山に天潤庵を建てて隠棲しました。

ラベル:毘盧庵跡
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2020年08月03日

横岳崇福寺跡巡りC長松嶺

法堂跡の案内板を見ると、
右下に1967年の調査風景の写真があります。

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昭和42年、東観世団地造成にあたり、
九大の建築学講座が中心となって調査を行ったとあります。
写真は東側から撮影されたもの。
礎石が写っています。
奥にはかつて寺の名勝と呼ばれた長松嶺(ちょうしょうれい)が見えます。
嶺の上まで続く階段もあるようです。
長松嶺は今の東観世公民館の背後の山のようです。

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太宰府横岳諸伽藍圖左に長松嶺と詠めます。

*写真は案内板より
(つづく)
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2020年08月02日

横岳崇福寺跡巡りB法堂跡・真額山・丸山

階段を上って北に進むと、
すぐ法堂(はっとう)跡があります。

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法堂は礎石建ての中心建物でした。
地図を見ると、法堂の上には庫裡と方丈があったようですが、
今は駐車場と住宅地となっています。

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地図には背後の山は真額山(地元では「まぶてやま」ともいう)、
右手は丸山と描かれています。
写真に写る山がそうです。
右手の山は丸くこんもりとしていて、名前の由来が分かります。
この場所を中心して左右に塔頭などが建ち並んでいたわけですが、
それは残されていません。
天正14(1586)年の岩屋城の戦いで全山焼失し、
その後崇福寺は黒田家の菩提寺として博多へ移され、
さらに高度経済成長期に宅地化されたためです。
posted by 理乃(ニックネーム) at 12:05| 福岡 ☁| Comment(0) | ●横岳崇福寺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月01日

横岳崇福寺跡巡りA山門への森の道

横岳通りを進んでいくと、
突き当りに横岳八幡宮があります。
その右手に瑞雲寺(崇福寺の塔頭)の山門がありますが、
閉じられていて入ることはできません。

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以前、拙著「麗し太宰府」の取材の際、
偶然ご住職が外出から帰って来られて、
中をご案内いただき、
そのとき撮影した室町時代のものとされる庭園の遺構をご紹介しておきます。

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瑞雲寺山門を内側から眺めたところ

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瑞雲寺の室町時代のものとされる庭園遺構

さて、瑞雲寺の山門と横岳八幡宮裏手の間に道があるので、
ここから森に沿って歩きます。

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横岳諸伽藍圖を見ていただくと、
このあたりが横岳崇福寺の入り口であると思われます。

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暑かった陽射しも森の緑に遮られ、涼しい風が吹いてきます。

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小道を行き着くと、急な階段があり、
上ると住宅地(昭和40年代に開発された東観世団地)が開けます。
このあたりに山門、仏殿があったと思われます。
ラベル:瑞雲寺
posted by 理乃(ニックネーム) at 13:06| 福岡 ☁| Comment(0) | ●横岳崇福寺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月31日

横岳崇福寺跡巡り@旭地蔵尊

昨日、仲間たちと横岳崇福寺跡を巡りました。
現在の開発された住宅地一面に広がっていた中世の伽藍。
わずかな痕跡を手がかりに歩きます。
崇福寺と言えば黒田家の菩提寺として博多に鎮座していますが、
もともとは太宰府にあったものを移したものです。

市役所近く、JA筑紫太宰府中央支店の左手の道、
横岳通りを進んで行った突き当りから寺域が始まります。
横岳崇福寺とはどんな寺だったかというと、
創建(1240年)は湛慧(たんえ)。
翌年聖一国師(円爾弁円えんじべんねん)が開堂式を行い、
1272年に大応国師(南浦紹明)が開山しました。
その後大応国師滞在の33年の間に
伽藍が整備されたと考えられています。

さて、横岳崇福寺跡巡りは
横岳通りを進んでいった左手にある旭地蔵尊から始まります。

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旭地蔵尊は横岳崇福寺を創建した湛慧のお墓と伝えられています。
湛慧は鬼すべの鬼にされ、
人前でひどい目に遭い心を痛め朝日山東の麓に横穴を掘り、
その中で経を唱えました。
鐘の音が聞こえていましたが、
ある日、座ったまま大往生したということ。
土地の人々はこの湛慧をここに葬り石塔を建てて供養しました。

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お百度参りの石

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横岳口道標

さらに先を進みます。
posted by 理乃(ニックネーム) at 12:56| 福岡 ☁| Comment(0) | ●横岳崇福寺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月19日

横岳崇福寺 毘盧庵(びるあん)跡

往時は広大な敷地を有していた横岳崇福寺。
法堂。仏殿、多数の子院、塔頭がありました。
そのほとんどは団地の開発で失われてしまっています。
今、その団地の一角(観世音寺6丁目)に残されているのがこの毘盧庵跡。

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石碑の表面には「勅諡普済大聖禅師塔所 崇福寺毘盧庵跡」と刻まれています。
普済大聖禅師とは鎌倉〜南北朝時代に活躍した筑前生まれの僧、
可翁宗然(かおうそうねん)の諡号。
可翁宗然は元に渡り、帰国後崇福寺にやってきました。
のちに南禅寺に移り、晩年は東山に天潤庵を建てて隠棲しました。

こんなに広大な崇福寺だったのに、
今ではかつての繁栄を伺い知れるものが少ないのが残念です。
posted by 理乃(ニックネーム) at 22:39| 福岡 ☁| Comment(0) | ●横岳崇福寺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月12日

横岳崇福寺跡

今日は「横岳崇福寺跡」をご紹介します。

ここは日本初の禅宗寺院。
臨済宗大徳寺派崇福寺の跡地です。

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崇福寺は、仁治2年(1240年)、
随乗坊湛慧(ずいじょうぼうたんね)によって創建されました。
翌年、宋から帰国した聖一国師(円爾弁円)を迎えて開堂。

聖一国師は、仁治3年(1241年)、
博多に承天寺を建立した僧です。

開山は文永9年(1272年)、
後に大応国師の称号を受ける南浦紹明(なんぼじょうみょう)によってなされました。

大応国師は、25才の時に入宋し、帰国後、
九州探題北条時定が蒙古襲来に備えて創建した興徳寺(福岡市西区姪浜)を開山した僧。
元軍が襲来した文永・弘安の役では大宰の少弐、武藤資頼のもとで、元軍との折衝役としても活躍しました。

でも、天正14年(1586年)、岩屋城の戦いで、
崇福寺のほとんどは焼けてしまいました。
十数年後、福岡藩主となった黒田長政は大徳寺の春屋国師の要請で、
博多・千代の松原に崇福寺を復興し、
歴代黒田家の菩提寺としたのです。

江戸時代、
太宰府の崇福寺跡には勝禅院のほか、
大応国師の像を祀った開山堂が建てられました。
開山堂は、戦後、崇福寺の別院として再建され、
雲水の修行の場となっています。

崇福寺の跡地は昭和40年代の東観世団地の開発によって多くは消滅しました。
別院に隣接する瑞雲寺は岩屋城の戦いで唯一残った勝禅院の跡地。
瑞雲寺の庭は曲水池や滝の石組み、護岸の石組みが残る貴重なものです。
また、崇福寺別院の境内には、大応国師の墓と伝えられる「瑞雲塔」が建っています。


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瑞雲塔

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(※クリックすると大きくなります)


 ※参考『西都 太宰府』


posted by 理乃(ニックネーム) at 19:58| 福岡 ☔| Comment(2) | ●横岳崇福寺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする