2016年12月19日

横岳崇福寺 毘盧庵(びるあん)跡

往時は広大な敷地を有していた横岳崇福寺。
法堂。仏殿、多数の子院、塔頭がありました。
そのほとんどは団地の開発で失われてしまっています。
今、その団地の一角(観世音寺6丁目)に残されているのがこの毘盧庵跡。

横岳崇福寺 毘盧庵(びるあん)跡 - コピー.JPG

石碑の表面には「勅諡普済大聖禅師塔所 崇福寺毘盧庵跡」と刻まれています。
普済大聖禅師とは鎌倉〜南北朝時代に活躍した筑前生まれの僧、
可翁宗然(かおうそうねん)の諡号。
可翁宗然は元に渡り、帰国後崇福寺にやってきました。
のちに南禅寺に移り、晩年は東山に天潤庵を建てて隠棲しました。

こんなに広大な崇福寺だったのに、
今ではかつての繁栄を伺い知れるものが少ないのが残念です。
posted by 理乃(ニックネーム) at 22:39| 福岡 ☁| Comment(0) | ●横岳崇福寺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月12日

横岳崇福寺跡

今日は「横岳崇福寺跡」をご紹介します。

ここは日本初の禅宗寺院。
臨済宗大徳寺派崇福寺の跡地です。

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崇福寺は、仁治2年(1240年)、
随乗坊湛慧(ずいじょうぼうたんね)によって創建されました。
翌年、宋から帰国した聖一国師(円爾弁円)を迎えて開堂。

聖一国師は、仁治3年(1241年)、
博多に承天寺を建立した僧です。

開山は文永9年(1272年)、
後に大応国師の称号を受ける南浦紹明(なんぼじょうみょう)によってなされました。

大応国師は、25才の時に入宋し、帰国後、
九州探題北条時定が蒙古襲来に備えて創建した興徳寺(福岡市西区姪浜)を開山した僧。
元軍が襲来した文永・弘安の役では大宰の少弐、武藤資頼のもとで、元軍との折衝役としても活躍しました。

でも、天正14年(1586年)、岩屋城の戦いで、
崇福寺のほとんどは焼けてしまいました。
十数年後、福岡藩主となった黒田長政は大徳寺の春屋国師の要請で、
博多・千代の松原に崇福寺を復興し、
歴代黒田家の菩提寺としたのです。

江戸時代、
太宰府の崇福寺跡には勝禅院のほか、
大応国師の像を祀った開山堂が建てられました。
開山堂は、戦後、崇福寺の別院として再建され、
雲水の修行の場となっています。

崇福寺の跡地は昭和40年代の東観世団地の開発によって多くは消滅しました。
別院に隣接する瑞雲寺は岩屋城の戦いで唯一残った勝禅院の跡地。
瑞雲寺の庭は曲水池や滝の石組み、護岸の石組みが残る貴重なものです。
また、崇福寺別院の境内には、大応国師の墓と伝えられる「瑞雲塔」が建っています。


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瑞雲塔

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(※クリックすると大きくなります)


 ※参考『西都 太宰府』


posted by 理乃(ニックネーム) at 19:58| 福岡 ☔| Comment(2) | ●横岳崇福寺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする