今日は「横岳崇福寺跡」をご紹介します。
ここは日本初の禅宗寺院。
臨済宗大徳寺派崇福寺の跡地です。



崇福寺は、仁治2年(1240年)、
随乗坊湛慧(ずいじょうぼうたんね)によって創建されました。
翌年、宋から帰国した聖一国師(円爾弁円)を迎えて開堂。
聖一国師は、仁治3年(1241年)、
博多に承天寺を建立した僧です。
開山は文永9年(1272年)、
後に大応国師の称号を受ける南浦紹明(なんぼじょうみょう)によってなされました。
大応国師は、25才の時に入宋し、帰国後、
九州探題北条時定が蒙古襲来に備えて創建した興徳寺(福岡市西区姪浜)を開山した僧。
元軍が襲来した文永・弘安の役では大宰の少弐、武藤資頼のもとで、元軍との折衝役としても活躍しました。
でも、天正14年(1586年)、岩屋城の戦いで、
崇福寺のほとんどは焼けてしまいました。
十数年後、福岡藩主となった黒田長政は大徳寺の春屋国師の要請で、
博多・千代の松原に崇福寺を復興し、
歴代黒田家の菩提寺としたのです。
江戸時代、
太宰府の崇福寺跡には勝禅院のほか、
大応国師の像を祀った開山堂が建てられました。
開山堂は、戦後、崇福寺の別院として再建され、
雲水の修行の場となっています。
崇福寺の跡地は昭和40年代の東観世団地の開発によって多くは消滅しました。
別院に隣接する瑞雲寺は岩屋城の戦いで唯一残った勝禅院の跡地。
瑞雲寺の庭は曲水池や滝の石組み、護岸の石組みが残る貴重なものです。
また、崇福寺別院の境内には、大応国師の墓と伝えられる「瑞雲塔」が建っています。

瑞雲塔

(※クリックすると大きくなります)
※参考『西都 太宰府』
posted by Rino(ニックネーム) at 19:58| 福岡 ☔|
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●横岳崇福寺跡
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