太宰府関連の遺跡ですのでご紹介します。

以下は説明版より。
大宰府は奈良時代、天下の一都会といわれ、
都につぐ大都会でした。
杉塚廃寺はその一角にありました。
大宰府政庁から南西に2kmの地点です。
これまでに2棟の建物跡が発見されていますが、
その規模は分かっていません。
建立時期は出土した瓦などから700年前後と考えられています。
この建物は土を幾重にも突き固めた基壇の上に柱を立てる礎石を並べたもので、
金堂か講堂の可能性が高いということ。
杉塚廃寺の東側には鴻臚館から大宰府まで通じていた官道が通っていました。

