2017年03月13日

太宰府天満宮境内12の御神牛  その12 宝物殿

太宰府天満宮の境内には全部で12の御神牛があります。
11は見つけられるのですが、
12体目がなかなか見つけられないのは宝物殿の中にあるからです。
これは一番新しい御神牛。しかも白牛。

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人形師の中村信喬さんが平成14年に作ったものです。
御神忌一千年大祭を記念して、
楼門前に平成6年まであり千年樟と呼ばれた
老樟の原木を使い七ヶ月で仕上げたもの。
胡粉が塗られています。
背後にあるのはマリメッコのテキスタイル。
ミーナ・アッキジルッカの「春の祭典」という作品。
平成24年12月1日から平成25年3月10日まで、
宝物殿と境内で開催された
「ふぃんらんど・ラキスタイルアート〜季節が織りなす光と影」の出品作です。
posted by 理乃(ニックネーム) at 12:59| 福岡 ☁| Comment(0) | NEWS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

太宰府天満宮境内12の御神牛  その11 延寿王院前

シリーズ太宰府天満宮境内12の御神牛のその11です。
最も人気のある延寿王院前の御神牛。

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頭をなでている写真を撮ろうと、
ときには人が列をなして並んでいます。

この御神牛は太宰府が誇る彫刻家、冨永朝堂氏が昭和60年(1985)年に奉納したもの。
背なかのラインは宝満山の山並みのイメージが重ねられています。
posted by 理乃(ニックネーム) at 12:36| 福岡 ☁| Comment(0) | ●太宰府天満宮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月12日

太宰府発見塾

学問の都太宰府に誠にふさわしいのが市が主宰する太宰府発見塾。
今年も無事修了証書をいただきました。

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毎年テーマを決め、今年は日本遺産。
毎回、新進気鋭の研究者が精力を込めた講義をします。
今年の受講者は230人。その70%が修了しました。
25%は市外から。
毎回満席となる人気の講座が年間わずか2000円。
今年で10年で来年のテーマは「幕末・維新期の太宰府」です。
毎回、濃い話を聞かせていただいた講師のみなさまに感謝。
そして素晴らしい市の事業と塾長の森弘子先生に感謝します。
来年も楽しみです。
posted by 理乃(ニックネーム) at 00:33| 福岡 ☀| Comment(0) | ★日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月10日

さいふまいり

今年の太宰府検定のテーマ出題は「さいふまいり」。
市役所には「さいふまいり」の案内板があります。

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さいふまいりとは宰府詣り(太宰府参詣)のこと。
平安時代に太宰府参詣をしてたのは官人や文人。
そこに庶民が加わったのは江戸時代以降のこと。
さいふまいりの人々は宰府宿の旅籠や宿坊に泊まって、
太宰府天満宮のほかにも水城跡、都府楼跡、
観世音寺、戒壇院などを巡っていたようです。

案内板にあるのは天保15(1844)年に斎藤秋圃(しゅうほ)の「博多太宰府図屏風」。

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関屋から太宰府天満宮まで道が描かれています。
草葺の屋根が続く門前町を人々は楽しく通っていたのでしょう。

明治以降になると名所の写真を用いた絵葉書が作られます。
都府楼跡の写真は今とはずいぶん違いますね。

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※案内板より
posted by 理乃(ニックネーム) at 14:12| 福岡 ☀| Comment(0) | ●太宰府市内そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月21日

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑 F山上憶良 日本挽歌(長歌)

メモリアルパーク太宰府悠久の丘に設置されている万葉歌碑を紹介してきましたが、
ここにあるのは旅人の「世の中は 空しきもと 知る時し いよよますます 悲しかりけり」の他は
憶良のこの長歌とそれに添えられた反歌5首です。

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最後にご紹介するのがこの長歌。

「大君(おおきみ)の 遠の朝廷(みかど)と しらぬひ  筑紫(つくし)の国に 泣く子なす 慕ひ来まして 息をだに いまだ休めず 年月(としつき)も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間(あいだ)に うちなびき 臥(こや)やしぬれ 言はむ術(すべ) せむ術(すべ)知らに 石木(いわき)をも 問ひ放(さ)け知らず 家ならば かたちはあらむを 恨しき 妹(いも)の命(みこと)の 我(あれ)をばも いかにせよとか にほ鳥(どり)の 二人並び居(い) 語らひし 心そむきて 家離(さか)りいます」

万葉集巻五・七九四 山上憶良

旅人の妻、大伴女郎(おおとものいらつめ)の死に対して憶良が贈った歌。
大伴郎女は大宰師として筑紫に赴任した旅人と一緒に大宰府に来たものの、
間もなく病で亡くなります。
藤原家にとって邪魔な旅人は左遷されたともいわれています。
にほ鳥(鳰鳥)はカイツブリのこと。

(大君の遠い朝廷、筑紫の国に、
妻は泣く子のようにわたしを慕ってきた。
息も休める間もなく、年月も経っていないので、
心通わす時間もないうちに横になり、臥してしまった。
何か言うすべもなく、何かするすべもなく、
石や木に尋ねても分からない。
都の家にいたなら生きていただろうに恨めしい。
妻の命ををどうすればよかったのか。
カイツブリが仲良く並んでいるように語り合ったのに、
その心に背いて家を離れて逝ってしまった。)
posted by 理乃(ニックネーム) at 15:10| 福岡 ☁| Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月19日

大宰府史跡解説員養成講座修了

昨年5月から大宰府史跡解説員養成講座を受講しておりました。
一昨年から二年続け太宰府検定中級合格者を対象に門戸が開かれた講座です(今年の募集はなし)。
全11回のうち9回出席でき、本日晴れて修了し、
同期10人と共に大宰府史跡解説員の資格を得ました。
最後の二回は模擬解説でした。
事情により4月から史跡解説員に登録はできませんが、
これからも大好きな太宰府の勉強を続け、
いつの日か史跡解説員デビューを果たしたいと思います。
posted by 理乃(ニックネーム) at 14:30| 福岡 | Comment(0) | NEWS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑 E山上憶良「愛しきよ」

「愛(は)しきよし かくのみからに 慕ひ来し 妹が心の すべもすべなさ」
万葉集巻五・七九六 山上憶良

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旅人の妻の死を悼んで憶良が贈った長歌に添えられた反歌の一つ。
大宰府に赴任する旅人に伴ってきた正妻の大伴郎女(おおとものいらつめ)。
でも旅の疲れからか、すぐに大宰府で亡くなります。
その妻の心を思っての歌です。

(愛しい妻よ。まるで死ぬためについてきたもののようなのに、
わたしを慕って一緒に来たその心を思うと、やりきれないよ)
posted by 理乃(ニックネーム) at 13:56| 福岡 ☀| Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月16日

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑 D山上憶良「家に行きて」

「家に行きて 如何にか吾(あ)がせむ 枕づく 妻屋(つまや)さぶしく 思ほゆべしも」
万葉集巻五・七九五 山上憶良

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(家に帰って、私はどうすればいいのだろう。
枕を共にした妻の家は寂しく思われるだろう。)

この歌も旅人の妻の死に対して山上憶良が贈った長歌に付けられた反歌の一つ。

妻が亡くなったあと、家に帰って、何をすればいいんだろう。
妻と一緒に寝た家は、今となっては寂しく思うばかりだという心情。
それも遠い赴任先での出来事だからなおさら。
posted by 理乃(ニックネーム) at 22:41| 福岡 ☀| Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑C山上憶良「悔やしかも〜」

「久夜斯可母可久斯良摩世婆阿乎尓与斯久奴知許等其等美世摩斯母乃乎」

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悔(くや)しかも かく知らませば あをによし 国内(くぬち)ことごと 見せましものを 

万葉集巻五・七九七 山上憶良

これも憶良が旅人の気持ちになって詠んだ歌。

(なんて悔しいんだ。君がこんなことになると分かっていたら、大和の国をすべて見せてやりたかったのに)

万葉仮名で書かれています。
一字一字、字が異なるのは太宰府万葉会の方が一人一文字ずつ揮毫しているからのようです。
posted by 理乃(ニックネーム) at 01:10| 福岡 | Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月14日

メモリアルパーク太宰府悠久の丘の万葉歌碑B 山上憶良「妹が見し〜」

悠久の丘には全部で7つの歌碑があります。
一つが妻を亡くした旅人の歌で、その他は旅人の気持ちを代弁するかたちで
憶良が歌ったものです。

神亀5年(728年)。
憶良が筑前国守として赴任して一年余り後、大宰府の師(長官)としてやってきた旅人。
二年後の天平二年(730)、大納言となって都へと帰ります。
二人はその間、歌を通して心の交流をしたのです。

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「妹が見し 楝の花は 散りぬべし 吾が泣く涙 いまだ干なくに」
万葉集巻五・七九八 山上憶良
妻が見た楝の花は散ってしまう。私の涙はまだ乾かないのに。
posted by 理乃(ニックネーム) at 14:08| 福岡 ☁| Comment(0) | ★万葉歌碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする