2008年06月28日

四王寺山めぐり その9 「玄清法印の墓」

四王寺山の焼米ケ原のこんもりと木が茂っている一角に
よく見るとお墓があります。

玄清法印のお墓です。

genseihoin.jpg

玄清法印は、766年に太宰府に生まれています。
17歳のときに視力を失うのですが、
盲僧となり琵琶を弾いて人々を救いました。
最澄が比叡山延暦寺を建立するとき、
毒蛇に悩まされます。
そのとき法印の噂を聞き、毒蛇退治を依頼しました。
法印が比叡山まで出向き、
琵琶を弾いて経を唱えると毒蛇は退散したそうです。
この功績により法印は「成就院」という称号を受け、
最高の僧位「法印」の法号も授けられました。
そして延暦8年(789年)に四王寺北谷に成就院を建立したと伝えられています。

太宰府で天然痘が流行した際、
玄清法印は四王寺山に登って地神陀羅尼経を唱えながら、
琵琶を弾き続けて天然痘の流行を鎮めたといいます。

玄清法印は弘仁14年(822年)に57歳で亡くなります。
でもお墓は長い間、どこにあるか分からなかったそうです。
そこで一千年忌(1834)に建てられたのがこの四王寺山上のお墓です。
ところが明治34年(1901)に四王寺山山麓の坂本で玄清法印の塔婆が見つかりました。
そこで千百五十年忌を記念して、坂本にもお墓を築いたのです。
というわけで玄清法印のお墓は四王寺山の上と麓に2つあるのです。

(※参考『西都 太宰府』)

genseihoin.jpg

これが坂本のお墓です。
坂本八幡宮から四王寺山へ向かって歩いていった左手にあります。

sakamotogenseihoin.jpg

坂本の玄清法印のお墓の遠景。


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ラベル:四王寺山
posted by Rino(ニックネーム) at 00:08| 福岡 ☁| Comment(2) | ●四王寺山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
四王寺山は、大宰府にいた時、人から「一度登ってみては」と薦められましたが、一人で登るのは恐いので、あきらめました。理乃さんは、凄いです。大宰府をくまなく探訪し、記事にされていて、本当にいつも感心して読ませていただいています。
Posted by なでしこ at 2008年06月28日 15:27
なでしこさん、こんにちは。

いつも読んでいただいて、ありがとうございます!
この四王寺山めぐりは、その1で説明しましたように、とある講座に参加したもので一人で登っているわけではないんですよ。ほかの参加者を写さないように注意しているので、一人で登っているみたいですけど…。わたしも山は一人では行けないので、団体で登るイベントをキャッチして、くっついて行ってます。
太宰府はもちろん一人でふらふら歩いていますが、NPОが主催する「歩かんね太宰府」に参加して教えてもらったところも多いんですよ。
わたしの方こそ、なでしこさんのブログをなんて研究熱心なのかと感心して読ませていただいています。
Posted by 理乃 at 2008年06月28日 17:12
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