
この建物は寛永7(1630)年の建築と伝えられている。
これまで文政8(1825)年と昭和25(1950)年に修復されている。
屋根には6枚の鬼瓦があった。
そのうちの2枚は昭和25年に上げれたものだが
これまで作者は富永朝堂先生と思われてきた。
それが今回の修復で豊福知徳先生と分かったのだ。
瓦の裏にこう記されていた。
一千九百五十年六月
観世音寺金堂修築
現住 石田琳樹
彫刻家 豊福知徳
窯元 太宰府 平井明
豊福知徳先生はミラノに在住し世界的な彫刻家になった人だ。
その修業の始まりが富永朝堂先生の弟子となることだった。
始まりは仏師。
すぐそばの政庁跡の富永朝堂先生のアトリエで修行をしていた。
最初は模倣から始まったとおっしゃっていた。
鬼瓦は普通鬼師が作るものだが、
豊福先生はそこに彫刻家と記している。
あくまで彫刻家として、この鬼瓦を制作したのだ。
富永朝堂先生のアトリエからやがて東京へ出て本格的に彫刻家として自立していく豊福先生。
美術の関心は西洋のモダンアートに移っていく。
だから、この鬼瓦は西洋的だ。

二枚は阿吽だ。

ゴシック建築のガ―ゴイルのよう。
鼻が高く彫りが深い。

鬼瓦のルーツはそもそも西なのだ。
パルミラの建物の入口の上にメドゥーサを魔除けとして設置。
それがシルクロードから中国へ、そして奈良時代の日本へ入ってきたらしい。
鬼瓦とは反対に東洋から西洋を目指した豊福先生。
東洋と西洋の往還がここに見られる。
この鬼瓦の裏側の上部には落書きのようなものがある。


ラフなデッサンで仏像のようでもある。
けれど、モジリアニの女性像に似ている気がする。
そのアーモンド型の瞳。
修復後、屋根の上に再び上がると、
もうまた何十年も人の目に触れることはない。
一枚の瓦を通して感じる東洋と西洋の往還。
こうやって文化は混じり合って発展してきた。
異質なものを受け入れて。



