古代の大宰府〜その成立と展開
太宰府公文書館・文化ふれあい館 重松敏彦氏 memo】
太宰府検定関連講座を聴いてきました。
第一章は大宰府の官職の内容、その特徴、最後の大宰府権帥平惟仲のことなど。
第二章は大野城関連。
9つの城門、8カ所の礎石建物群、774年の四王院の設置。
それは4カ所にあったのではなく、一つにまとめてあったのではないかという説の存在。
四天王法は大宰府だけにあったのはなく、他国にもあったこと。
第三章は大宰府の成立。
大宰府の起源「那津宮家」の表記の問題。屯倉、官家、屯家、三宅、屯宅、御宅があるが、
一般的な表記は屯倉。
最近はミヤケと表記されることが多いとのこと。
日本書紀にだけ屯倉と官家両方が記載されており、
那津官家だけが官家の表記。
それは日本書紀を書いた人が官家の表記を屯倉に置き換えたのではないか。
そして那津官家にだけ官家という表記を残したのではないか。
ミヤケ制の中で那津官家をどう考えるかという重松氏の視点が今日の講座のポイントでした。
最後に重松氏の話にあった、福岡県の国の特別史跡は4つ。
大宰府政庁、水城、大野城、王塚古墳。水城があって政庁があって、
背後に大野城がある、まさに史跡の国宝、特別史跡のまっただ中に太宰府はあり、
そういう稀な地で暮らしているということを改めて思わせられました。
★昨日はパリで叙勲を受けて帰国途上のニューカレドニア日本国名誉領事夫妻を
2時間のみの超時短太宰府観光にお連れしました。
セレクトしたのは観世音寺宝蔵、太宰府天満宮、九博。
これで精一杯でしたが、一生懸命太宰府をアピール。
太宰府が忘れられない土地になっていただけるとうれしいのですが。。。